ホンダイズムというより宗一郎イズムで作られた1台! 空冷にこだわったホンダ1300とは (1/2ページ)

ホンダイズムというより宗一郎イズムで作られた1台! 空冷にこだわったホンダ1300とは

この記事をまとめると

  • 1969年にデビューしたホンダ1300
  • 本田宗一郎の技術的信念により、空冷エンジンを用いていた
  • のちにクーペが追加された

水冷も最終的には空気で冷やす空冷だ!

 2輪においては世界でトップメーカーに成長したホンダは、軽トラックのT360とライトウェイトスポーツカー(小型乗用車)のスポーツ500で4輪メーカーとしての名乗りを上げました。本格的な量販モデルとしては、軽乗用車のN360(とそこから派生したライトバンとクキャブオーバートラック)が最初の商品となりました。ホンダN360

 いずれも、オートバイと基本設計を同じくする空冷で360ccのOHC並列2気筒エンジンを搭載。発売と同時にN360はヒット商品となり、4輪メーカーとしてのホンダの基礎を築くことになりました。そこでホンダの次なる商品として開発されたのがホンダ1300。型式名もシンプルにH1300とされています。ホンダ1300クーペ

 N360がヒットしたこともあり、H1300 も空冷エンジンでいくことになりました。これにはさまざまな理由があったと伝えられていますが、何よりも決定的だったのは創業社長であり、技術部門のトップでもあった本田宗一郎さんが、頑ななまでの空冷“信奉”だったためでした。ホンダ1300クーペ

「水冷エンジンと言っても、最終的には(ラジエターを)冷やすのは空気。だから最初から空冷の方が合理的だ」というのです。また「砂漠の真ん中で故障した場合、水は手に入らないが空気ならいくらでもある」と仰っていた、とも伝えられています。いずれにしても技術のトップが頑固に言い張っている以上、どんな技術者も簡単に水冷への転向を提案することはできなかったでしょう。

 それはともかくH1300です。N360に比べて4倍近い排気量となるために、気筒数は4として、Nと同じ横置きとすることになったのですが、出力も高くなっていて、当然のように発生する熱量も多くなっています。そこでN以上にクーリングに気を遣ったエンジンとなっていました。ホンダ1300

 Nでも、空冷エンジンの特徴でもある冷却フィンを外側からシュラウドでカバーし、エンジンの後方に取り付けたファンで空気を吸い出すようにした、ある意味で強制空冷になっていましたが、H1300ではさらに凝った造りになっていました。ホンダN360のエンジン

 シリンダーブロックのなかに、水冷エンジンでは冷却水が通るウォーターラインが設けられていますが、そのような通路を設けて、そこに空気を強制的に送り込んで冷却しようというもの。さらにエンジンの外側には、通常の空冷エンジンと同様に冷却フィンが設けられていましたから、クーリングのキャパシティは充分と考えられていました。

 DDAC(Duo Dyna Air Cooling system。一体構造二重壁空冷方式、または一体式二重空冷エンジン)と呼ばれる空冷エンジンには、期待通りの副産物もありました。シリンダーブロックが二重になったことで、Nで散々苦労させられた騒音が大きく遮断されることになったのです。ホンダ1300

 その一方で、もうひとつの副産物、これは望んでいなかったものも現れてきました。想定外の重量過多でした。エンジンは補器類も含めてアルミを多用していたにも拘らず、複雑な構造で重量が重くなり、また整備性も悪くなってしまっていました。

 パフォーマンスは充分で、最高出力は77と呼ばれたシングルキャブのベースモデルでも100ps、99と呼ばれた4キャブレターの高性能版ではじつに115psをマークしていました。これは、ほぼ同時期に登場していたトヨタのコロナ・マークII(1.9L)が100ps、クラウン(2L)が110psだったことを考えれば、驚くべき高出力でした。

 ちなみに、最高速は77で175km/h、99では何と185km/hにも達していました。これは同時代のスカイライン2000GT(GT-Rではない)をも凌ぐ韋駄天ぶりで、まさに2L級のパフォーマンスを発揮していたことになります。

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