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「ファミリア」の2倍の値段だった「ルーチェロータリークーペ」とは? ロータリーエンジンに未来を託したマツダの選択【国産名車グラフィティ】

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TEXT: 片岡英明  PHOTO: 三浦正人(MZRacing)/日本自動車工業会

ジウジアーロが手がけたセダンのデザイン技法が社内デザイナーの能力を飛躍させた

LUCEは、イタリア語で光り輝くという意味である。また、「MAZDA」の社名(とペットネーム)は創設者の松田重次郎の姓にちなんで命名されたものと思われているが、それだけではない。もうひとつ、暗黒の世界を明るい世界へと導いた光の神、アウラ・マツダ(アフラ・マヅダー)の神話も重ね合わせている。だから「MAZDA」と表記しているのだ。ルーチェの車名も同様に、自動車界で光り輝くように、との願いを込めて命名された。

ルーチェ(4ドア)は、当時のマツダのピラミッドビジョンの頂点に立つ乗用車として開発され、2度のモーターショー参考出品を経て、1966年に市販された。ルーチェ1500は高速ツーリングをテーマに、日本最高水準のファミリーカーを目指して開発されたから、メカニズムもデザインも洗練度が高い。

デザインを手がけたのは、イタリアの自動車デザイン工房、カロッツェリア・ベルトーネだ。伸びやかで、情感あふれる3ボックスフォルムの4ドアセダンの開発には、当時、ベルトーネ社でチーフデザイナーを務めていたジョルジェット・ジウジアーロも関わっている。細身のピラーや少し下げたリアデッキがエレガントだった。サイドウインドウには時代の最先端を行くカーブドガラスを採用している。

あまりにもエレガントなデザインだったので、レシプロエンジンだけでなく、開発途上にあるロータリーエンジンをセダンにも積みたいと考えるようになったのだ。

こうしてコードナンバー「S8P」と呼ばれるプロジェクトがスタート。だが、開発が始まると、首脳陣はクーペタイプのほうが売りやすい、と考え、途中で方向転換したのである。このプロトタイプは「M10P」と名付けられた。

その発展型の「RX87」は、ルーチェ1500の発売から1年後の1967年秋に開催された第14回東京モーターショーで参考出品され、センセーションを巻き起こしている。そこからデザインをさらに磨き、1969年10月に発売された。

人々を魅了した流麗な2ドアのクーペフォルムは、前輪駆動のFWDを採用したこともあり、ボンネットは低く伸びやか。リヤピラーを傾けているから優雅さが際立っている。全長はセダンより215mm長い4585mmで、ホイールベースも80mm延長。全高は25mm下げられている。

デザインを手がけたのは、セダンと同じベルトーネだと言われているが、じつはマツダの社内デザイナーの作品だ。セダンを仕上げていく上で学んだ技術や技法を用いながら、上手に破綻なくまとめ上げた。ルーチェの名を冠しているものの、セダンとは似て非なるクルマで、共通するボディパネルはない。

デザイン的にはクーペの方が美しいと感じている人も少なくないだろう。FWDと感じさせないほど洗練されたシルエットで、遠くからでも目立つ。ショーカーと大きく違うのは、三角窓を取り去り、フルオープンのハードトップとしたことである。また時代に先駆けてスーパーデラックスにエアコンを標準装備したこともあって、このようなスッキリとしたサイドビューのウインドウデザインが実現できたのである。

専用設計の655cc×2ローターの13Aエンジンはコスモスポーツを凌ぐパワーを秘めていた

ルーチェロータリークーペは、マツダ車初の前輪駆動車である。当時、世界的に見ても高性能エンジンを積み、大柄なサイズのFWDモデルは少数派だった。ボディパネルと同じように、メカニズムにおいてもルーチェのセダンと共通するところはほとんどない。ロータリーエンジンを積んだ異端のクーペなのである。

FWDとしたのは、提携しているロータリー本家のNSU社が、1967年秋に威信をかけて送り出したRo.がFWDを採用していたからだろう。当時のドイツではキャビンを広く取れるFWDがトレンドとなりつつあり、フォルクスワーゲンやアウディも次々にFWD路線へと転換している。マツダもその魔力に取りつかれ、一般的なFR方式ではなくFWDを選んでしまったようだ。

そのためエンジンは専用設計となった。搭載するのは、13A型と名付けた単室容積655ccの2ローター・ロータリーエンジン。10A型ロータリーより大きく、のちに登場する12A型や13B型ロータリーともサイズが異なる。これはFWDを採用し、エンジンを前側に載せようとしたためだ。全長を詰めたエンジンで、レシプロエンジンでいえばロングストローク設計のようなものだった。圧縮比は9.1で、最高出力126ps/6000rpm、最大トルク17.5kgm/3500romを発生する。だが、これは控えめに抑えられた数値。実際には130ps以上を出せる実力を秘めていた。だが、フラッグシップのコスモスポーツは128psのため、これを超えないようにと忖度し、ディチューンする形でパワーを抑えたわけだ。

トランスミッションはフロアシフトの4速マニュアル。エレガントなクルマだから、設計陣はATを設定したかったようである。だが、FWDだから合うユニットがなかった。新設計するとなると出費がかさむので見送っている。ちなみに最高速度は190km/hだ。だがマツダは瞬間ではなく連続最高速度のため、これは掛け値なしである。0-400mは16.9秒。車重は1250kgと軽くはないが、エンジンはパンチがあり、パワフルだった。

エンジン以外のメカニズムも独創的だった。サスペンションはフロントがトーションラバーにスプリングのダブルウィッシュボーン、リアはセミトレーリングアームの4輪独立懸架と凝っている。ブレーキは、フロントにサーボアシスト付きのディスクブレーキを装備。ステアリング形式はクイックなラック&ピニオンで、スーパーデラックスは時代に先駆けてパワーステアリングを標準装備した。だが、妙に軽く、路面からのインフォメーションも薄いから頼りなく感じたのも事実だ。

ルーチェロータリークーペはラジアルタイヤや合わせガラスを標準装備し、3点式シートベルトや2名分のヘッドレストも装備するなど、安全にも力を入れている。また、快適装備においてもライバルを圧倒した。メカニズムにも強いこだわりを持つなど、マツダらしい意欲作と言えるだろう。

だが、当時のFWDモデルの多くがそうであるように、コーナリングでは頑固なアンダーステア特性。持て余すくらいパワーがあるだけにジャジャ馬だ。扱いにくさばかりが目立ったことに懲りたのか、マツダは1980年代直前までFF車の開発を封印。高価だったこともあり、FWDを採用したルーチェロータリークーペの販売台数は1000台に届いていない。ビジネス的には成功作とは言えないが、マツダのチャレンジスピリットが生んだ記憶に残る1台と言えるだろう。

ルーチェロータリークーペ(RX87)
●年式:1969
●全長×全幅×全高:4585mm×1635mm×1385mm
●ホイールベース:2580mm
●トレッド(前/後):1330/1325mm
●車両重量:1255kg
●エンジン:13A型2ローターロータリー
●総排気量:655cc×2
●最高出力:126ps/6000rpm
●最大トルク:17.5kgm/3500rpm
●変速機:4速MT
●駆動方式:FF
●サスペンション(前/後):ウィッシュボーン・トーションラバー/セミトレーリングアーム・コイル
●ブレーキ(前/後):ディスク/リーディングトレーリング
●タイヤ:165HR15
●価格:145万円

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