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プリンスの伝説の「R380」が復活! 公道が走れて5000万円から…第1号車は4気筒のF3マシンがベースでした

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TEXT: 青木邦敏(AOKI Kunitoshi)  PHOTO: 青木邦敏(AOKI Kunitoshi)

  • ロッキー R380 A-1:プリンス魂を宿した伝説のレースマシンR380は、再び公道バージョンとして蘇った
  • ロッキー R380 A-1:センターシングルシートの内装はスパルタンに仕上がっている
  • ロッキー R380 A-1:展示された1号車は、エンジンは無限製レーシングエンジンにヒューランドミッションの組み合わせる
  • ロッキー R380 A-1:このルックスで、エアコンを効かせながら公道を走れる
  • ロッキー R380 A-1:もし販売するとしたらエンジンを6気筒と4気筒バージョンに分けて売る予定とのこと
  • ロッキー R380 A-1:フロントのカウルは前ヒンジとなる
  • ロッキー R380 A-1:ヘッドライトはスカイライン2000GT用だったする
  • ロッキー R380 A-1:市販化を前提として製作を進める販売車両では、英国製スポーツカーをベースに6速マニュアルあるいはパドルシフトで楽しめるマシンにすることも検討中
  • ロッキー R380 A-1:FRPで成形されたR380の型は、開発責任者だった桜井眞一郎氏が、日産から正式に譲り受けたものであり、当時の細かい書類も残っていた
  • ロッキー R380 A-1:F3ベースの公道仕様となるR380は、ナンバー取得のために現在の法規に従って構造変更、最低地上高の問題、灯火類、騒音などの問題などをクリアさせることが条件になった
  • ロッキー R380 A-1:テールレンズはスカイライン2000GT-B用をセットしている
  • ロッキー R380 A-1:F3ベースの公道仕様となるR380は、ナンバー取得のために現在の法規に従って構造変更、最低地上高の問題、灯火類、騒音などの問題などをクリアさせることが条件になった
  • ロッキー R380 A-1:サイドのディテールは「美しい」のひと言に尽きる
  • ロッキー R380 A-1:気になる販売価格は5000万円〜とロッキーオート渡辺代表は語る
  • ロッキー R380 A-1:2024年12月26日に正式にナンバー付き車両として認められた
  • ロッキー R380 A-1:FRPで成形されたR380の型は、開発責任者だった桜井眞一郎氏が、日産から正式に譲り受けたものであり、当時の細かい書類も残っていた
  • ロッキー R380 A-1:ミラーもスカイライン用のショートタイプをセットしている
  • ロッキー R380 A-1:第1号車となったこのマシンのベースとして選んだのはレーシングカーであるF3だった
  • ロッキー R380 A-1:再現度に驚かされた
  • ロッキー R380 A-1:ヘッドライトはスカイライン2000GT用だったする

伝説のマシンを公道で乗ることができる!

東京オートサロン2025で衝撃的なマシンに遭遇しました。それは、1966年の日本グランプリにおいて打倒ポルシェを掲げて開発された日本初のスポーツプロトタイプカーのプリンス「R380」。このマシンを展示していたのは愛知県岡崎市の有名ショップ「ロッキーオート」です。博物館でも見ることのできない貴重なマシンがなぜここに……詳しく話をうかがいました。

完敗で始まった栄光の歴史

ロッキーオートといえば、当時の姿そのままに現代の技術を使って名車を甦らせることで有名なお店である。過去にはトヨタ「2000GT スーパーレプリカ R2000GT」や現代版「ケンメリGT-R」等、衝撃的な話題作を手がけてきたことで知られている。今回、東京オートサロン会場に展示していたのは、プリンス好き、そして、日産ファンなら気にせずにはいられないプリンス「R380」だった。

このマシンの開発は、スカイラインの生みの親として知られる桜井眞一郎氏が責任者を務めたことでも知られている。誕生のきっかけは、1964年に開催された第2回日本グランプリにおいて、ポルシェが「カレラ904GTS」というレーシングなルックスのマシンで参戦。それまで全勝だった「スカイラインGT」が惨敗してしまったことで当時のプリンスレース開発陣の魂が燃え上がった。

その悔しさから、国内初の鋼管スペースフレームシャシーに2L直列6気筒DOHC 4バルブのGR8エンジンをミッドシップに搭載する本格的なレーシングマシン「R380」が誕生した。

王者ポルシェを完全に撃破!

1966年5月に開催された第3回日本グランプリがR380のデビュー戦となったが、ポルシェもよりポテンシャルを高めた新型マシン「906」を投入してきて新型マシン同士の争いが話題に。しかし、結果はR380が圧倒的な速さと安定した走りを見せつけ、王者ポルシェを完全に撃破。終始R380がリードするレース展開でポルシェに圧勝した記録が残っている。

そして翌年、プリンスは日産と合併。プリンスR380もニッサンR380となり、さらなるリファインを施して「R380 II」になる。その後、R380シリーズは、1970年まで活躍し続け、数々の名誉ある栄冠を勝ち取る。ちなみに、R380はIからIIIまで進化し、その後「R381」、そして最終モデルの「R382」へと発展し続けて強さを見せつけた。

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