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廃棄処分されずにオークションに現れた約70年前のアストンマーティン「DB4」プロトタイプ

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Courtesy of RM Sotheby’s

新たなシャシー開発が始まりDP114/2の使命は終わりを遂げた

DP114/2の開発を委ねられたトゥーリング・スーペルレッジェーラ社だが、プラットフォームシャシー+鋼管ボディフレーム+軽量アルミボディパネルによるボディ構築法「スーペルレッジェーラ」による新規開発を主張したことから、それまでのプロジェクトはキャンセル。

トゥーリング・スーペルレッジェーラ社の要請を受け、急きょ新たなプラットフォームシャシーを開発していたアストンマーティン社は、DP114/2試作車をそれ以上テスト走行させる必要がなくなった。そのためDP114/2は、デーヴィッド会長の妻、ブラウン夫人の個人用車両として使用されることになった。このクルマが廃棄の憂き目を見ずに済んだのは、この時のブラウン夫人の判断のおかげと思われる。

DP114/21957823日に初めて正式に登録された。ホワイトのボディにブルーのトップとブルーのトリムが施されたこの元プロトタイプには、有名なアイスクリームメーカーのコーポレートカラーにちなんで「ウォールズ・アイスクリーム・バン(Walls Ice Cream Van)」というニックネームが奉られた。ブラウン夫人は1962年までこのクルマを愛用した。

歴代の所有者には国防省のウィリアム・デニス・デーヴィッド大佐の名前も記載されている。デーヴィッド大佐は、第二次世界大戦中にRAF(イギリス空軍)の部隊を指揮し、「大英帝国勲章コマンダー勲章(C.B.E.)」と「殊勲飛行十字章」も受章した歴戦の勇者だ。その彼が1966年に購入している。

その後1970年代までにDP114/2 は廃車状態と化してしまうのだが、1980年代の新オーナーがDP114/2 を競技用車両に改造した。FIA により、ヒストリックラリーに出場するためのプロトタイプ GT として公認され、1988年の「第1回ピレリクラシック・マラソン」および「ブリジェンド・フォード・ディレクターズ・ラリーステージ」で、クラス優勝を果たした。次のオーナーは翌1989年の「ピレリクラシック」でDP114/2を走らせている。その後、アストンマーティン・ラゴンダは再び、この個体を買い戻している。

1990年、ニューポート・パグネルのアストン旧工場に隣接した「アストンマーティン・ワークス(Aston Martin Works)」は、エンジニアリング部門から回収したオリジナルの図面を用いて、のべ5年間におよぶ最高水準の包括的なDP114/2 のレストアプロジェクトに着手することになった。

アーモンドグリーンに意匠替えをしても普遍の価値

レストアを終えたDP114/2は、このファクトリーの修復能力を示すショーケースとして、1993 年のロンドンで開催された「ルイ・ヴィトン・コンクール・デレガンス」、そして 1995 年のシルバーストーンで開催された「コイズ・インターナショナル・ヒストリック・フェスティバル」で展示された。

1999 年にはイギリス国営放送の大人気番組BBC「トップギア」で取り上げられ、2000 年代初頭には雑誌などでも大きく取り上げられている。そして2005年、次のオーナーとなった人物により、さらなる再整備が行われ、現在の「アーモンドグリーン」のカラーに仕上げられた。

キャビン内とブート(トランクの英国式表記)は「フェルングリーン」のレザーで全面的に改装。それに合わせた、グリーンのウィルトンカーペットとシートベルトが取り付けられた。加えてブレーキとサスペンションもオーバーホールされ、塗装とボディワークも修正。一説では費用は総額 35000 ポンド近くになったという。

この超レアなアストンマーティンについて、RMサザビーズ欧州本社では

「その魅力的で重要な歴史のおかげで、同ブランドの愛好者や著名な英国車のコレクターにとって、今後も永遠に最高の関心を集める1台であり続けるでしょう」

と歴史的価値を力説。かくして、78日にクリブデンハウスで行われた競売では、エスティメートの上限に近い421250英ポンド、現在のレートで日本円に換算すると約8380万円で競売終了のハンマーが鳴らされることになった。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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