マグネシウム部品を未だに多々維持している希少な個体
そして、西ドイツ(当時)のオペルを新たなパートナーとしたコンレロでの活動期間を終えたシャシーNo.「AR752675」は、1969年にプライベートレーサーのジークフリート・コプケに売却され、ドイツ国内のツーリングカーレースに出場。さらに翌1970年、コプケにとっては同業のライバルであるディーター・マハティウスに売却されたものの、どうやらこの時点で、ツインプラグのDOHCエンジンはブローしてしまっていたようだ。
その後、このGTAは長らくドイツ国内にとどまることになるが、1970年代から1980年代にかけては休眠期間を過ごしていた。しかし、時々ロードカーとして使用されることもあったようだ。1995年に、ジュリアGTAシリーズのスペシャリストとして知られる別の個人オーナーによって購入され、完全な「新品同様」の状態に修復された。
ところで、ジュリアGTAシリーズの特徴のひとつとしては、アルミ合金製のボディシェルとマグネシウム製パーツの広範な使用が挙げられるが、とくに最初期のホモロゲート取得用に製作されたこの個体は、オイルパンやバルブカバーを含む数多くの希少なマグネシウム部品を保持していることも注目に値しよう。
また、適切なGTA専用トランスミッションとアウトデルタ製リアアクスル、そして非常に希少な第1世代カンパニョーロ製マグネシウムホイールも搭載している上、競技歴を証明するオリジナルの「コンレロ」プレートがダッシュボードに、オリジナルのホモロゲーション番号がトランクに刻印されている。
今回のオークション出品に際して、RMサザビーズ北米本社は公式オークションカタログで
「時代を反映したレース歴、魅力的なヒストリー、そして次なるオーナーに広がる無限の可能性とともに手に入れられる稀有な1台」
と熱烈に自賛しつつ、近年の北米マーケットにおけるジュリアGTAの売買実績からすれば、いささか控えめにも思える22万ドルから28万ドル(邦貨換算約3240万円〜4088万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定した。
ところが迎えた8月15日のオークション当日。モントレー市内の大型コンベンションセンター、および今年からは隣接するホテルにも会場を広げて挙行された対面型競売では、思いのほかビッド(入札)が伸びず、エスティメート下限にようやく届く22万ドル。現在の為替レートで日本円に換算すれば約3240万円という落札価格で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。
「元コンレロ」というレーシングヒストリーを持つGTAコルサが、台数こそ少ないとはいえ一般に販売されたGTAストラダーレの相場価格に近いハンマープライスというのは、少なくとも落札者にとっては良い買い物だったに違いない。




































































































