アメリカが自動車デザインの旗手だった時代の隠れた傑作
かつてアメリカが世界の自動車デザインをリードしていた時代、その象徴のひとつが老舗自動車メーカーのスチュードベーカーが製造した「アヴァンティ」です。工業デザインの巨匠レイモンド・ローウィが手がけたこのクーペは、革新的なスタイルと高性能を兼ね備えながらも、時代の波に飲まれた悲運の名車でもありました。そんなアヴァンティR2が、RMサザビーズの「モントレー2025」オークションに登場。その特別な内容と、注目のオークション結果についてお伝えします。
工業デザインの父「レイモンド・ローウィ」が1週間で製作した「アヴァンティ」
偉大な芸術は、しばしば激動の時代に生まれる。かつてアメリカに存在した老舗自動車メーカー、スチュードベーカーの「アヴァンティ」もまた然りであった。
1960年代初頭、北米ビッグ3に阻まれるかたちで経営難に陥っていた同社は、ショールームに顧客を引き込める、華やかなイメージリーダー的モデルに再起の望みを託した。
その開発指揮を執ったのはレイモンド・ローウィである。自ら著した自叙伝「口紅から機関車まで」が代名詞となっている彼は、「ラッキーストライク」のロゴとパッケージ、「コカ・コーラ」のガラス瓶、大統領専用機「エアフォースワン」のカラーリングなど、ジャンル・ブランドを問わず数えきれないほどのデザインワークを手掛ける「工業デザイン」という概念を構築したとも言われる巨匠だ。
彼はスタイリストの精鋭チームを自ら選抜し、カリフォルニア州パームスプリングスの貸別荘に招いた。伝えられるところによれば、このとき彼が持ち込んだのは製図道具と数冊の自動車雑誌、そして数百ポンドのクレイモデル造形用粘土だけだった。
のちにアヴァンティとなる2ドアクーペの基本デザインは、わずか1週間あまりで完成した。さらに、1カ月あまりでスチュードベーカー首脳陣から量産モデルの承認が下りた。それは自動車業界、ことに北米の大メーカーにおいては驚異的な短期間での開発であった。
スチュードベーカーはアヴァンティの基盤として、同社がビッグ3に先んじて発表していた大衆向けコンパクトカー「ラーク」のシャシーを改良して流用した。フロントのディスクブレーキと、オプションの「R2」にはパクストン社製スーパーチャージャーつき4.7LのV8エンジンを載せるなど、のちにフォードが「マスタング」で成功させることになるパーソナルカーの開発手法をいち早く構築していたことになる。
しかしアヴァンティが自動車史に名を残した最大の理由は、そのセンセーショナルなグラスファイバー製ボディだろう。のちの北米ビッグ3のカーデザインにも多大な影響を与えることになる、流麗なコークボトル型シルエットや、ひと目ではラジエータグリルが確認できないほどシンプルなフロントフェイスは、この時代においては革命的なスタイリングを提起していたのだ。
こうして1962年4月に「’63年モデル」としてデビューしたアヴァンティながら、話題を呼んだFRPボディの生産体制の不備によって、商業的には失敗作となってしまった。
スチュードベーカー・アバンティの生産は、1963年12月に終了した。矩形のヘッドライトベゼルを与えられた1964年モデルは809台が製造され、そのうちスーパーチャージャー搭載のR2はわずか281台だ。




















































































































































