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「30台限定」のはずが受注殺到! 闘牛の未来を激変させたスーパーカー誕生【ミウラ伝説】

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TEXT: 山崎元裕(YAMAZAKI Motohiro)  PHOTO: Automobili Lamborghini S.p.A.

  • 1966年のジュネーブショーに登場したランボルギーニ ミウラ
  • フェルッチオは数枚のプロトタイプ(TP400)の写真を、当時の牧場主だったドン・エドゥアルド・ミウラに見せたのみで、その使用権(ミウラの車名)を得ることに成功
  • 1966年のジュネーブショーでランボルギーニ ミウラが登場した頃、フェラーリでは275GTB/GTCを販売していた
  • スペインのセビリア地方にあるミウラ・ファーム
  • ランボルギーニのエンブレムが闘牛の理由は、創立者のフェルッチオが4月16日、すなわち牡牛座の生まれであったことに由来している

1962年に訪れた闘牛牧場でひらめいた!
「ファイティングブル」と「ミウラ」の関係

スーパーカーという言葉を聞いて、誰もが思い浮かべる象徴的な1台と言われるとランボルギーニを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。なかでも人気を二分するのが「ミウラ」と「カウンタック」ではないでしょうか。その象徴の一角である「ミウラ」誕生の舞台裏には創業者の並々ならぬ情熱と、驚くべき「誤算」がありました。牡牛座生まれのフェルッチオが、なぜスペインの闘牛牧場を訪れたのでしょうか。当初はわずか数10台の限定生産を予定していたプロトタイプが、いかにして世界のセレブリティを虜にし、フェラーリを驚愕させる伝説へと昇華したのでしょうか。歴史の転換点となった1966年の衝撃を紐解きます。

フェルッチオの情熱が叶えた「ミウラ」名! 
跳ね馬への対抗心・闘牛・牡牛座の数奇な関係

フェルッチオはなぜ、「TP400」からベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによる美しく、そして革新的ともいえるボディを組み合わせたニューモデルに「ミウラ」の名を授けたのか。

その話を始める前に、まずあらためて触れておきたいのは、ランボルギーニ社が手掛けるモデルのフロントノーズに配されるエンブレムである。ファイティング・ブル、すなわち闘牛が描かれたそれは、諸説ある。ひとつ目はフェルッチオが1916年4月16日、牡牛座の生まれであったことに由来しているという。ふたつ目の理由はスペインの伝統的な闘牛の世界に深い敬意と情熱を持っており、1962年に彼が訪れたスペインのセビリアにある伝説的な闘牛の飼育家、ドン・エドゥアルド・ミウラ牧場を訪れた際、そこで見た力強く猛々しい闘牛に圧倒され、自分の造るクルマにもその圧倒的な強さと美しさを投影したいと考えたからだと。そして三番目の理由が、フェラーリのキャバリーノ・ランバンテ(跳ね馬)への対抗心から「馬に勝つには強い牛だ」となったと言われている。おそらくだが、そのどれもが正解ではないかと思っている。

ファーストモデルの「350GT」や、その後継車である「400GT」には、フェラーリがそうであったように、搭載されるV型12気筒エンジンの排気量、そしてグランツーリスモを意味するGTの称号で構成される車名を選択したフェルッチオだが、彼の胸のなかには常に、歴史にその名を残すファイティング・ブルの名を車名として掲げたいという願望があった。それが初めて叶ったのが闘牛牧場であった「ミウラ」だったのである。

1966年のジュネーブ・ショーで、のちにミウラとなるプロトタイプを発表したフェルッチオの姿は、それからすぐにスペインのセビリア地方にある、ローラ・デル・リオの地にあった。彼がプロトタイプのミウラを自ら運転して訪ねた先は、先述したミウラ・ファームだ。常に強く勇敢な闘いを演じる、歴史あるこのファームのブルが受け継ぐ血統の素晴らしさをその時に感じていたという。だからこそ1963年の会社創立の際にファイティングブルをコーポレートマークとして選択しているのだ。さらに1966年の再訪時には、闘牛の世界では広く知られるミウラの名こそが、新たに誕生するV型12気筒ミッドシップモデルにはふさわしいと考えるに至ったのだ。

現在ならば、そのミウラの名を得るには、商標権などに関してのさまざまな問題をクリアしていかなければならないはずだが、この頃はまだそれに対する考えは緩やかであった。すでに尊敬し親交のあった牧場主のドン・エドゥアルド・ミウラに、自らのドライブでプロトタイプを運転しスペインにいるミウラ氏を訪ね実物を見せ、その情熱も汲み取ってもらえたのもありネーミングの使用権を得ることに成功したという。

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