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城の厩舎を私設自動車博物館に! ドイツの貴族二人が残したクルマ文化の大きな爪痕【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

  • 1936年にルドルフ・カラッチオラの操縦で372.102km/hを記録したメルセデス ベンツの速度記録挑戦車。5.6LのV12エンジンを積みながら車重はわずか750kgに抑えられている
  • スイスのコーチビルダーであるグラバーが手がけたアルヴィス TC21のコンバーチブル。同様のモデルは世界でわずか6台しか生産されていないと言われており、非常に価値の高い珠玉の1台だ
  • ロータリーやディーゼルエンジンのテストベッドとして開発されたメルセデス ベンツの実験車、C111。オレンジ色のウェッジシェイプボディは、当時の空力技術の最先端を示すデザインである
  • 館内に掲げられた共同創設者リヒャルト・フォン・フランケンベルクのモニュメント。ル・マンでクラス優勝も果たした名レーサーだが、博物館完成のわずか3年後にアウトバーンの事故でこの世を去った
  • ジェームス・ハントがドライブしたF1マシン、ヘスケス 308C。大きなインダクションポッドを持たない低いシルエットが特徴的だ。貴族のチームが走らせたマシンが古城に展示されるのも感慨深い
  • ロニー・ピーターソンらがドライブしたとされるF1マシン、マーチ 761。1970年代のF1を彩った鮮やかなカラーリングのマシンが、ドイツの歴史ある古城の片隅で静かに余生を過ごしている
  • クラシカルな佇まいを見せるイギリスの老舗ブランド、ライレーのモデル。詳細なモデル名は不明だが、こうした由緒正しき英国車が多く展示されていたのも、イギリス王室と縁深いこの博物館ならではだ
  • 1950年代後半に活躍したイギリスのスポーツレーシングカー、ローラ Mk1。美しい流線型の軽量ボディにコベントリー クライマックス製エンジンを搭載し、当時のレース界を席巻した名車である
  • 自動車博物館へと改装されたかつての厩舎の外観。ドイツ初の私設自動車博物館であり、領主とレーシングドライバーという2人のクルマ好き貴族の情熱が、この歴史ある建物をクルマの館へと生まれ変わらせた
  • 第二次世界大戦中にフォルクスワーゲン ビートルをベースに開発された水陸両用車、シュビムヴァーゲン。スクリューを備えた特異な舟型のボディ構造は、当時の自動車技術の多様性と歴史の複雑さを物語る
  • 2階の奥に設けられたイタリア車の展示スペース。イギリス車が多い館内のなかで、石造りのアーチ状の天井の下にひっそりと佇むラテンのクルマたちは、どこか異質な存在感を放っている
  • ホーエンローエ=ランゲンブルク家の居城であるランゲンブルク城。要塞としての「ブルク」の名のとおり、堅牢な石造りの外観を持ちながら、内部は領主の住居としての美しい宮殿の顔を併せ持っている
  • 厩舎を改装した館内は、2階の回廊から1階の展示車両を俯瞰して楽しめる造りだ。レーシングカーが整然と並ぶ姿は圧巻であり、お城の建物をそのまま活かした空間構成が歴史の深みを感じさせる

名門貴族と名レーシングドライバーが意気投合城の厩舎に創設したドイツ初私設自動車博物館

モータージャーナリストの中村孝仁氏の世界中に広がる豊富な経験談を今に伝える連載です。今回は、「ランゲンブルク アウトミュージアム」です。ドイツ南部に位置する古城、ランゲンブルク城をご存知でしょうか。実はここには、1970年にドイツ初の私設自動車博物館として産声を上げた「ランゲンブルク アウトミュージアム」が存在します。イギリス王室とも縁が深い第9代領主と、ポルシェで活躍した名レーシングドライバーが意気投合し、城の厩舎を改装して誕生したのがこの博物館です。筆者が1970年代後半に訪れた当時の記憶とともに、そこに展示されていた貴重な名車たちと、創設者たちの数奇な歴史を紐解きます。

地元領主の住居として貴族が住む豪華な城の厩舎
宮殿のランゲンブルク城ドイツ自動車博物館建立

今はGerman Car Museum Schloss Langenburg e.V.(ドイッチェス アウトミュージアム シュロッス ランゲンブルク)と名乗り、わかりやすく言い換えるなら「ランゲンブルク城のドイツ自動車博物館」と名前を変えている、かつてのランゲンブルク アウトミュージアム。名前のとおり、ランゲンブルクというお城にある自動車博物館である。

ドイツのお城には「シュロッス(Schloss)」と名付けられたものと「ブルク(Burg)」と名づけられたもののふたつがある。前者シュロッスは王侯貴族が権力や富を誇示するために建てた豪華な建物で、平地や景観のいい湖畔などに建てられているいわゆる宮殿的なお城。一方の後者ブルクは要塞を意味し、敵の攻撃から身を守ることが最優先となっているため、敵を見下ろし、攻めにくくするために山の上や崖の上に建てられることが多いお城という色彩が強い。

ランゲンブルクという町は、元々は町全体が要塞のような場所だったのかもしれないが、そこにあるシュロッス ランゲンブルクは、この地の領主の住居としてのお城である。ウィキペディアによれば、ランゲンブルクは家系の名称で、この家系が滅亡した後、ホーエンローエ家がこの地を治めたとされる。

英国王室と縁深い貴族と貴族ドライバーの出会い
二人はクルマを文化として伝えるため博物館建設

自動車博物館を作ったのはここの9代目の領主だった、ホーエンローエ=ランゲンブルク侯クラフトであった。家柄は素晴らしく、ドイツの侯爵であり、地主で、同時にホーエンローエ=ランゲンブルク家の名目上の当主であった。エディンバラ公フィリップの甥であり、エリザベス2世女王の義理の甥、つまりイギリス国王チャールズ3世の従兄弟にあたる。だからというわけではないかもしれないが、エリザベス女王は1965年にこのランゲンブルク城を訪れているのである。

そんな由緒ある当主は、元々自動車が好きだったらしく、ドイツのレーシングドライバーでポルシェに縁のあったリヒャルト・フォン・フランケンベルクとの出会いで、博物館設立に動く。フランケンベルクもまた貴族の出身で、フランクフルトの南、ダルムシュタット出身。戦争がはじまると、暴力から逃れることを選択してイギリスへ亡命する。

もともと文才があった彼は、執筆活動も熱心にこなし、1951年には「Porsche, der Weg eines Zeitalters(ポルシェ、ある時代の道のり/軌跡)」というポルシェに関する書籍を書き上げている。さらに1952年には、ポルシェの機関誌として今も刊行される「クリストフォラス(Christophorus)」の初代編集長となり、世界で最も歴史ある顧客向け広報誌(カンパニーマガジン)」を発行した人物となる。レーシングドライバーとしては550スパイダーを操り、ミッレミリアやル・マンなどにも参戦。1953年のル・マンでは、見事総合15位、クラス優勝を遂げている。彼のモットーが「

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