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落札額はオーラと資産価値の表れか!? 王族から元首相へと渡った華麗な遍歴を持つランボルギーニ「ミウラ」に3億3千万円!!

落札額はオーラと資産価値の表れか!? 王族から元首相へと渡った華麗な遍歴を持つランボルギーニ「ミウラ」に3億3千万円!!

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 2026 Courtesy of Broad Arrow  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

サウジアラビア王子が新車オーダーした初期型はファクトリーオプション満載で380馬力の特別チューン!

ミウラは1966年から1973年までの7年間生産され、その期間に2度のマイナーチェンジを経た。つまり3世代のミウラが存在する。1966年から1969年までの第1世代が「P400」と呼ばれるモデル。その後少し期間が重複するが、1968年から1971年まで生産されたのが「P400S」。そして1971年から1973年までが、最終型となる「P400SV」であった。

生産台数には諸説あるが、ランボルギーニ・ミウラ・レジスターによれば、最初のP400が274台、2世代目のP400Sが338台、そしてP400SVは147台である。

P400の名を持つ初期モデルは、4リッターのV12ユニットから350psの出力を得ていた。これがP400Sになると370psに出力が上がり、パワーウインドウが装着されるなどの装備や快適性の向上が図られた。そして最終モデルのP400SVでは、出力は385psに向上し、独特だった「まつげ」がヘッドライト周囲から消えていた。

今回Broad Arrow Auctionsに出品されたミウラは、274台生産された初期型P400の1台だ。シャシーナンバーは「3637」。ランボルギーニ ポロ ストリコのオリジナル文書によると、この個体はサンタアガタ工場で1968年7月19日に完成している。強化シャシーのシリーズIIであり、エクステリアカラーは白、内装色は赤のレザーで仕上げられていた。

ファクトリーオプションとして、大型ホイール、コニ製ショックアブソーバー、オレンジ色のフロントインジケーター、電子アンテナ付きラジオとカセット、シートベルトなどが装備された。未装着ではあったが、ホワイトのサイドミラーも出荷されたようだ。さらに出荷の時点で、エンジンはその出力を380psに引き上げる特別チューンが施されていた。

中東の王族から元首相など華麗なるストーリーを紡ぐミウラこそ、銀幕のスターを超えるオーラと存在感!

エンジン番号「2157」、ベルトーネ社ボディ番号「333」を持つこのクルマは、ファクトリーの出荷記録によると、イギリスの公式代理店であるランボルギーニ・コンセッショネアーズ Ltdへデリバリーされた。

最初のオーナーとなったのは、当時ロンドンに邸宅を構えていたサウジアラビアのイブン・サウード国王の息子、アブドゥル・エラ・ビン・アブドゥルアジーズ・アル・サウード王子であった。

王子が所有していた当時、イギリスでは「020GH」のナンバープレートで登録されていた。その後、1980年代にレバノンのベイルートで家具商を営むカルロス・アユーブの手に渡る。さらに1989年にはウィリアムズ・アユーブ(カルロス・アユーブとは無関係)に売却された。

ウィリアムズ・アユーブは16年間所有したのち、2005年に売却。クルマはレバノンからクウェートへ渡り、クウェートの元首相であるシェイク・ジャベル・アル・ムバラク・アル・ハマド・アル・サバの個人コレクションに加わった。彼の所有期間中に大規模なレストアを受け、ボディはオリジナルのビアンコ・オン・ロッソカラー(白外装✕赤内装)に復元されている。

2024年9月に元首相の逝去によりコレクションから放出され、販売準備のためにアメリカへ移動した。Broad Arrow Auctionsでは、2025年にエスティメート価格150万ドルで出品されたが、なぜか撤回されている。

その後、2026年3月に再度出品され、今度は無事に落札された。落札価格は215万ドル。現在のレートで日本円に換算すれば、約3億3755万円という高額ディールとなった。

一度は出品が撤回されたものの、翌年に大きく価格を跳ね上げて落札された事実だけをみても、ミウラというクルマが持つ圧倒的な人気と美術品にも似た資産価値を見せつけてくれた。1960年代のスクリーンで世界中を魅了したミッドシップのアイコンは、半世紀以上の時を経た現在でも、色褪せるどころかその輝きを増し続けているのだ。中東の王族から元首相へと受け継がれたこの「P400」は、まさに映画の主人公のごとく、波乱万丈で華麗なるストーリーをこれからも紡いでいくに違いない。

※為替レートは1ドル=157円(2026年3月25日時点)で換算

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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