現存7台のブガッティ ロワイヤルと、極上のロールスロイス
そんな「たった」なのか、はたまた「凄い」なのかは読者の判断に任せることにして、重要と思えるモデルをいくつか紹介しよう。
やはり最初に挙げなくてはいけないのは、ブガッティである。「ワールドクラシックカーフェスティバル」と名付けられたこのイベントには、ハーラーから2台のブガッティがやってきた。その1台が、現存するたった6台(今は7台)のうちの1台である「ロワイヤル」だ。
ロワイヤルは1台として同じボディのクルマがないが、ハーラーから来たのは「クーペ ド ヴィル」と呼ばれるシャシーナンバー「41.111」のモデルである。もともとは異なるボディが載っていたが、2人目のオーナーがこのボディを架装している。現在はフォルクスワーゲン社がこのクルマを保有する。一説によると購入価格は2000万ドルだとか。ただし、今となっては安いものである。
もう1台のブガッティは、「T50」と呼ばれるモデルだ。エットーレの息子、ジャン・ブガッティのデザインによる革命的なモデルである。ワンピースのDOHC直列8気筒エンジンや、3速のトランスアクスル方式の駆動レイアウトなど、スタイルだけでなく、メカニズムも性能も当時の頂点を極めていた。
ロールスロイスは2台やってきた。1938年の「ファントムIII」は、7.34LのV12を搭載する。このエンジンは、シリンダーライナーを除いてすべてアルミニウム製であり、ロールスロイスのエンジニアリングを支えたヘンリー・ロイス最後の作品といわれている。ちなみにコードネームは「スペクター」であった。モダンなデザインのボディは、フランスのコーチビルダーであるフラネィ製である。
デューセンバーグやオールズモビルなど、珠玉のアメリカ車たち
アメリカを代表するモデルでもあるデューセンバーグは、その華麗なスタイルや性能で人気を博し、クラーク・ゲーブルやタイロン・パワーなど、多くのハリウッドスターの愛車となった。性能面でも1922年、1924年、1925年、1927年と4度、インディ500を制している。「SJ」は、インディに勝った直列8気筒7LのDOHC4バルブエンジンに、スーパーチャージャーを装備したものだ。
来日したモデルで4輪のもっとも古いモデルが、1902年式のオールズモビルである。オールズモビルはランサム・エリ・オールズが1897年に設立した会社である。そのごく初期のモデルが、この「ラナバウトR」だ。余談ながら、ロックバンド「REOスピードワゴン」のREOは、ランサム・エリ・オールズの頭文字であり、バンド名は1915年に製造されたトラックの名前そのままである(REOスピードワゴン)。
マーサーは黎明期のハイパフォーマンスカーとして有名で、とくにこの「タイプ35」がそれを代表する。会社は1909年に誕生し、1925年に終焉を迎えた。「モデルJ」と呼ばれた1913年式の「レースアバウト」は、言ってみれば当時のレーシングカーだ。いわゆる当時のハンドリングマシンであったという。
1927年のニューヨークショーに展示されたリンカーンは、意図的に古い馬車のコーチ風のボディを載せたモデルとしてデビューした。今も使われる「ブロアム」という名前は、イギリスの政治家であり法学者であったロード・ブローアムにちなんだ、一頭引きの馬車のスタイルを言う。
パッカードもアメリカを代表する高級車のひとつだ。1931年の「タイプ840」と呼ばれるモデルは、8シリーズという1924年から1936年まで製造されたモデルの一つ。ハーラーからやってきたこのクルマは、コーチビルダーのディートリッヒのボディを持つ、当時としては最高級のモデルの1台である。エンジンは、アルミヘッドを持つ直列8気筒6.3Lを搭載していた。
フェルディナント・ポルシェ博士が設計したメルセデス SSK
メルセデスの逸品は、1929年式の「SSK」だ。SSKはスーパー スポーツ クルツ(ドイツ語)の略で、最後のクルツはショートを意味する。設計はフェルディナント・ポルシェ博士だ。
合計30数台しか生産されておらず、大半がレースでクラッシュするなどして失われ、現在残るモデルはごく僅かだという。ハーラーのクルマはイギリスに輸出されたモデルで、1961年に焼失したものをレストアしたものだという。対英輸出車なので、右ハンドル仕様だ。
1人の男の途方もない情熱と財力が生み出し、そして奇跡的に日本の地を踏んだ30台の名車たち。あの熱狂のフェスティバルは、日本の自動車愛好家にとって、永遠に語り継がれるべき歴史的瞬間であった。
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