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総額4000万ドルを投じたカジノ王! 1971年日本上陸の至宝とは

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

現存7台のブガッティ ロワイヤルと、極上のロールスロイス

そんな「たった」なのか、はたまた「凄い」なのかは読者の判断に任せることにして、重要と思えるモデルをいくつか紹介しよう。

やはり最初に挙げなくてはいけないのは、ブガッティである。「ワールドクラシックカーフェスティバル」と名付けられたこのイベントには、ハーラーから2台のブガッティがやってきた。その1台が、現存するたった6台(今は7台)のうちの1台である「ロワイヤル」だ。

ロワイヤルは1台として同じボディのクルマがないが、ハーラーから来たのは「クーペ ド ヴィル」と呼ばれるシャシーナンバー「41.111」のモデルである。もともとは異なるボディが載っていたが、2人目のオーナーがこのボディを架装している。現在はフォルクスワーゲン社がこのクルマを保有する。一説によると購入価格は2000万ドルだとか。ただし、今となっては安いものである。

もう1台のブガッティは、「T50」と呼ばれるモデルだ。エットーレの息子、ジャン・ブガッティのデザインによる革命的なモデルである。ワンピースのDOHC直列8気筒エンジンや、3速のトランスアクスル方式の駆動レイアウトなど、スタイルだけでなく、メカニズムも性能も当時の頂点を極めていた。

ロールスロイスは2台やってきた。1938年の「ファントムIII」は、7.34LのV12を搭載する。このエンジンは、シリンダーライナーを除いてすべてアルミニウム製であり、ロールスロイスのエンジニアリングを支えたヘンリー・ロイス最後の作品といわれている。ちなみにコードネームは「スペクター」であった。モダンなデザインのボディは、フランスのコーチビルダーであるフラネィ製である。

デューセンバーグやオールズモビルなど、珠玉のアメリカ車たち

アメリカを代表するモデルでもあるデューセンバーグは、その華麗なスタイルや性能で人気を博し、クラーク・ゲーブルやタイロン・パワーなど、多くのハリウッドスターの愛車となった。性能面でも1922年、1924年、1925年、1927年と4度、インディ500を制している。「SJ」は、インディに勝った直列8気筒7LのDOHC4バルブエンジンに、スーパーチャージャーを装備したものだ。

来日したモデルで4輪のもっとも古いモデルが、1902年式のオールズモビルである。オールズモビルはランサム・エリ・オールズが1897年に設立した会社である。そのごく初期のモデルが、この「ラナバウトR」だ。余談ながら、ロックバンド「REOスピードワゴン」のREOは、ランサム・エリ・オールズの頭文字であり、バンド名は1915年に製造されたトラックの名前そのままである(REOスピードワゴン)。

マーサーは黎明期のハイパフォーマンスカーとして有名で、とくにこの「タイプ35」がそれを代表する。会社は1909年に誕生し、1925年に終焉を迎えた。「モデルJ」と呼ばれた1913年式の「レースアバウト」は、言ってみれば当時のレーシングカーだ。いわゆる当時のハンドリングマシンであったという。

1927年のニューヨークショーに展示されたリンカーンは、意図的に古い馬車のコーチ風のボディを載せたモデルとしてデビューした。今も使われる「ブロアム」という名前は、イギリスの政治家であり法学者であったロード・ブローアムにちなんだ、一頭引きの馬車のスタイルを言う。

パッカードもアメリカを代表する高級車のひとつだ。1931年の「タイプ840」と呼ばれるモデルは、8シリーズという1924年から1936年まで製造されたモデルの一つ。ハーラーからやってきたこのクルマは、コーチビルダーのディートリッヒのボディを持つ、当時としては最高級のモデルの1台である。エンジンは、アルミヘッドを持つ直列8気筒6.3Lを搭載していた。

フェルディナント・ポルシェ博士が設計したメルセデス SSK

メルセデスの逸品は、1929年式の「SSK」だ。SSKはスーパー スポーツ クルツ(ドイツ語)の略で、最後のクルツはショートを意味する。設計はフェルディナント・ポルシェ博士だ。

合計30数台しか生産されておらず、大半がレースでクラッシュするなどして失われ、現在残るモデルはごく僅かだという。ハーラーのクルマはイギリスに輸出されたモデルで、1961年に焼失したものをレストアしたものだという。対英輸出車なので、右ハンドル仕様だ。

1人の男の途方もない情熱と財力が生み出し、そして奇跡的に日本の地を踏んだ30台の名車たち。あの熱狂のフェスティバルは、日本の自動車愛好家にとって、永遠に語り継がれるべき歴史的瞬間であった。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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