F40に繋がる道筋を築いた、謎のコンペティツィオーネ
オークションという舞台では、時として未知のクルマに触れる機会になることもあります。誰もが知るはずのフェラーリにも、歴史のなかに埋もれた幻のモデルが存在します。2026年4月25日に地中海の見本市会場「グリマルディ フォーラム(Grimaldi Forum Monaco)」で開催されたオークションに、名門「ミケロット(Michelotto Automobili)」が製作しつつも表舞台に出ることのなかったレーシングカーが出品され、世界中のコレクターから熱い視線を集めました。いったい衆目を集めたレーシングカーとはどんなクルマだったのでしょうか。
名門ミケロットが手がけた世界に3台だけの競技用フェラーリの正体
F1モナコGPのクラシック版「グランプリ ドゥ モナコ ヒストリーク」に付随するかたちで、地中海に面した見本市会場「グリマルディ フォーラム(モナコ公国の東部ラルヴォット地区の海岸沿いに位置する、国際的なコンベンションセンター)」において、カナダ発祥で世界的に展開するRMサザビーズ社のオークションが開催されるのがここ数年の通例となっている。2026年4月25日に開催されたオークションでは、有名なイタリアのミケロット社(フェラーリの市販車をベースにしたGTレーシングカーの開発・製造を担ってきた重要なモータースポーツのパートナー会社)が製作したフェラーリのコンペティツィオーネ(競技用車両)が出品された。
その名をフェラーリ「308 GT/M(Mはミケロットの意)」と呼ばれ、世界的にあまり知られた存在ではないかもしれない。しかし、ミケロットが手がけたこのレーシングカーがフェラーリの歴史において果たした意義は、けっして過小評価すべきではない。さらに、現代のハイパーカーシーンへの影響も忘れてはならない。なぜなら、ミケロットと308 GT/Mがなければ、フェラーリ「288GTO」とそのエヴォルツィオーネ(進化)版、さらにはフェラーリ「F40」は存在しなかったかもしれないからだ。
308 GT/Mの起源にあたるのが、すでにレースやラリー仕様に改造されていたストラダーレ(公道仕様)版のフェラーリ「308GTB」だ。1978年から1983年にかけて、その派生モデルはグループ4およびその後継となるグループB(当時の世界ラリー選手権などを戦ったコンペティション規定)として数多くのレースやラリーに出場した。
しかし、フェラーリとの提携のもと、事実上同ブランドのカスタマーレーシング部門であるミケロットは、真にオーダーメイドのプロトタイプを製作することを決定した。

その結果、ドイツのボッシュ社製インジェクションを備え、シリンダーあたり4バルブのヘッドを持つ3.0Lの自然吸気V8エンジンは、従来のグループ4仕様の310〜315psから約370psへと増強された。そして、308GTBの横置きエンジンではなく、チューブラーフレーム後部に縦置きでV8エンジンを搭載したのである。
イギリスのヒューランド製5速ギヤボックスは、F1由来であるイギリスのボーグ&ベック社製クラッチの設置スペースを確保するため、逆向きに搭載された。ダブルウィッシュボーン式サスペンションにはローズジョイント(ピロボール式)が採用され、ドイツのビルシュタイン製ダンパーと組み合わされた。また、イタリアのブレンボ社からはベンチレーテッドディスクブレーキと4ピストンキャリパーが供給され、ラリーステージのヘアピンカーブを軽快にテールスライドできるよう、油圧式ハンドブレーキも装備された。
その後、イタリアのモデナ近郊バスティリアのアウトスポルト社によって製作された、より空力性能に優れたカーボンファイバーとケブラー製のボディと組み合わされる。じつは308 GT/Mは、F1以外のフェラーリ製レースカーとしては初めて複合素材(カーボン+ケブラー)で成形されたボディを採用したモデルで、総重量はわずか840kgにすぎなかった。
4WD全盛時代に飲み込まれたミドシップレイアウトのラリー車がサーキットで開花!?
こうして308 GT/Mはミケロットによってわずか3台のみが製作されたが、今回出品された最初の1台であるシャシーナンバー001は、フェラーリのテストコースであるフィオラーノで徹底的なテストが実施された車両である。
しかし、グループBラリー選手権における本格的なフェラーリとミケロットとの参戦プログラムは、288 GTOも含めて予想外の短命に終わることとなる。その決定的要因となったのは、アウディ「クワトロ」やプジョー「205ターボ16」、ランチア「デルタS4」といった新世代の4WD(四輪駆動)マシンが台頭しつつあった時代に、ミドシップとはいえ後輪駆動というコンベンショナルなレイアウトを採用していたことだった。
モータースポーツの文脈において、このクルマはミッドシップのフェラーリ 308プラットフォームの究極進化形として構想されたにもかかわらず、誕生のきっかけとなったグループBの規定が変更されたため、ワークス体制で本格的にラリー参戦する機会を得る前にその役割を終えてしまう。それでも308 GT/Mには、ささやかながら活躍の場がサーキットに用意されることになった。
このクルマが密かに開発されていた1984年初頭、フェラーリにとって長年のお得意様であるジャン ブラトンは、この新型シルエットレーサーの存在を耳にした。本名よりも有名な「ビューリーズ」のレーシングネームを名乗り、アマチュアながらル マン24時間レースにて5度にわたる表彰台経験を持つ彼は、旧知のなかであるマラネッロ首脳陣に接触。そしてフェラーリ正規ディーラーであるガレージ フランコルシャンを介して、ミケロットにシャシー001を譲ってくれるよう説得する。

伝説的なベルギーのレーシングチーム「エキュリー フランコルシャン」の名のもとにエントリーされたこのクルマは、1980年代半ばから後半にかけて欧州ローカルのクラブレースで実戦デビュー。当時すでに60歳を超えながらも意気軒高なビューリーズのドライブで、オランダのザントフォールトやベルギーのゾルダーで優勝したのにくわえ、ルクセンブルクのサーキット グッドイヤーでも活躍した。
いっぽう、ほか2台の308 GT/Mのなかで、シャシー002は1984年のラリー アウトドローモ ディ モンツァに出場し、クラッシュするまではトップを走るなど有望な速さを見せた。そして3台目は、1986年末に製作されたと判明している。
1996年1月、シャシー001は国境を越えて、フランス フェラーリ オーナーズ クラブの元会長であるギィ ドメに売却された。その後、2006年12月にアメリカ人の所有者に購入され、レースシリーズに投入された。定期的にサーキットで走りを楽しんだこのクルマは、数々の本格的なサーキットイベントや、2006年および2007年のキャヴァリーノ クラシック ミーティングにも出場している。
アメリカのウィスコンシン州のフェラーリ専門業者であるモーション プロダクツ社によって定期的に整備が行われており、2006年から2009年4月までの整備およびサーキットサポートに関する請求書の総額は、約39万ドルにも上っていたという。




















































































