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最高速330km/hの超接近戦! ナスカー最高峰チームが誇る栄光のミュージアム【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

米国オーバルレースの歴史を紡ぐ最強チームの足跡を現地で振り返る

モータージャーナリストの中村孝仁氏の世界に広がる豊富な経験談を今に伝える連載。今回は、アメリカンモータースポーツの最高峰である「NASCAR(National Association for Stock Car Auto Racing=全米ストックカーオートレース協会の頭文字を取ったもので、通称ナスカー)」の聖地を巡る。最高速度330km/hの箱車のモンスターマシンが超接近戦を繰り広げる圧倒的な非日常感と、史上最多勝利を誇る名門チーム「ヘンドリック・モータースポーツ」の栄光の歴史が詰まったミュージアムの中身をお届けする。

日本のモータースポーツが歩むかもしれなかったオーバルコースの歴史を振り返る

日本でも自動車レースは盛んだし、世界中の自動車レースを見ることもできる。でもメジャーなレースでありながら、日本でもっとも縁遠いかもしれないレースがナスカー、いわゆるストックカーレースではないだろうか。

じつは、何かのきっかけがあったら、日本のモータースポーツはナスカーのようなオーバルコース(楕円形の周回コース)を走るレースとして歴史を刻んだかもしれない。例を挙げると、今から90年前に作られた多摩川スピードウェイ(神奈川県川崎市中原区の多摩川河川敷)は、全長1.2kmのオーバルコースであった。レースのレギュレーションなども、このコース建設に尽力した藤本軍治がアメリカから持ち込んだものだという。また、1966年に完成した当時の富士スピードウェイは、もともとナスカーのオーバルコースとして建設される予定であった。

もし多摩川スピードウェイが戦後も使われ、富士スピードウェイがオーバルコースとして完成していたら、日本のモータースポーツシーンはだいぶ異なる様相だったに違いない。しかし、多摩川スピードウェイが消え、富士スピードウェイがロードコースとして完成したことも手伝って、日本のモータースポーツは完全にヨーロッパ指向の歴史を歩むことになった。

ホンダが「ツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)」を完成させた時、オーバルを走るインディカーレースや、ナスカーは一時開催されたものの、震災の影響でもてぎのオーバルコースが使えなくなって以降、やはりアメリカ指向のレースは開催されなくなってしまった。

300km/hオーバーの超接近戦が繰り広げられるナスカーの醍醐味を味わう

筆者は1990年代の終わりに本場アメリカのシャーロット・スピードウェイで、当時のナスカーを観戦した。それまでは単調にオーバルをぐるぐると回るレースのどこが面白いのかと、半ば呆れていたのだが、実際のレースを見たことをきっかけに、その考えは180度改められた。

当時のナスカーは、ほぼ同一のボディにメーカーそれぞれがエンジンを開発してそれを搭載し、1レース当たり30台から40台のマシンがコースを埋め尽くす。驚いたことにローリングからレースがスタートすると、コースの路面が見えないほどマシンが接近して、しかもイコールコンディションは徹底しているのでなかなかバラけることもなく、コーナーへの進入も3ワイド(3台並走)が当たり前の展開をする。

また見ている側としてもっとも興奮したのは、最高速度およそ330km/hといわれるマシンが、コーナーの立ち上がりではコンクリートウォールからものの数十センチのところを駆け抜けることだ。しかも観客はそのコンクリートウォールのフェンスに行くこともできる(立ち止まっての観戦は一応許されていない)から、300km/h近いスピードのマシンがほぼ屋根に触れる距離を駆け抜けるわけだ。世界広しといえども、これほど間近で超高速車両を見ることができるのは、ナスカーをおいて他にはない。それがナスカーの醍醐味であり、楽しさである。

当時のナスカーマシンは非常にプリミティブな作りをしており、ボディはスチール製。ホイールもいわゆる鉄チンホイール(スチールホイール)で、5穴ナットをインパクトレンチで締める。ドアはなく、ドライバーは開いた窓から乗り降りし、窓ガラスがないため、ドライバーが車外に放り出されるのを防ぐためにネットが装備されるといった具合だ。市販車に端を発するV8サウンドは豪快そのもので、その面白さはやはり本場で見ないとわからないものだった。

ナスカーの歴史に燦然と輝く名門ヘンドリック・モータースポーツの軌跡をたどる

そんなナスカーでもっとも大きな成功を収めたチームのひとつが、「ヘンドリック・モータースポーツ」である。リック・ヘンドリックによって設立されたレースチームで、元々はオールスターレーシングと呼ばれたが、1985年にヘンドリック・モータースポーツに改名された。

ナスカーへのフルタイム参戦は1986年からだが、それ以前のオールスターレーシングを名乗っていた時代に、すでにレースでは勝利していた。その後の成績は輝かしいを通り越して、今も史上最多勝利を更新し続ける、ナスカーにおけるレジェンドチームである。

擁したドライバーは、ジェフ・ゴードン(4度のナスカー・カップシリーズチャンピオン)、デイル・アーンハート・ジュニア(2度のナスカーブッシュシリーズチャンピオン)、ジミー・ジョンソン(史上最多タイ、7度のナスカー・カップシリーズチャンピオン)など錚々たる顔ぶれだ。これまでにカップシリーズで321回の優勝を誇る。

レースの熱気や紙吹雪まで生々しく保存された栄光のマシンたちを見学する

そんな彼らのナスカーにおける歴史を詰め込んだのが、ヘンドリック・モータースポーツ・ミュージアムだ。ここを訪れたのは2014年のことだから、今から12年前となる。当時よりもさらに勝利を積み重ね、展示されるモデルも異なるかもしれないが、当時の展示車両のいくつかを紹介しよう。

当時、入り口を入ってすぐの場所に飾られていたのが、2013年にチャンピオンに輝いた、ジミー・ジョンソンのシボレー「インパラSS」だ。勝利の記録が生々しい紙吹雪がそのまま残されている。

他のマシンも多くはまるでレースから帰ったばかりのように、汚れたまま展示されている。例えば2007年にジミー・ジョンソンがチャンピオンをとったマシンや、ずらりと並んだジェフ・ゴードンのデュポン・スポンサーのマシンの一部もそうだ。珍しいところでは、ピットボックスと呼ばれる、ピット前に置かれてエンジニアがドライバーに指令を出すコマンドセンターも展示されていた。

比較的古いところでは、80年代のシボレー モンテカルロ(ティム・リッチモンドがドライブした)が展示されているが、このマシンは後にリスキン(外装変更)されて、シボレー ルミナに変身。トム・クルーズが主演した映画『デイズ・オブ・サンダー』の黒いExxonカーとして活躍したマシンである。

これ以外にも歴代の優勝マシン他、時代を彩ったナスカーマシンが多く展示されていた。スーベニアショップも充実しており、ナスカーファンにはたまらない空間だ。ちなみにヘンドリック・モータースポーツは、ナスカーの聖地であるシャーロット・スピードウェイのほど近いところにある。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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