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初期型フェラーリ「F40」をミケロットが軽量&ハイパワーの公道仕様にしたら「4500万円が7億8000万円で落札!」のマジックとは

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: RM Sotheby's  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

約7億8800万円で落札されたミケロット仕様のフェラーリ「F40」とは

2026年7月8日、サリー州エプソムに英国王立自動車クラブ(RAC)が所有する大庭園「ウッドコート・パーク」を舞台として開催された同クラブ初の大規模コンクール・デレガンスにて、公式オークションとしてRMサザビーズ「The Woodcote Park Auction 2026」が併催された。その出品ロットのひとつとして、ある歴史が込められたフェラーリ「F40」が登場した。伝説のレーシングマネージャーが愛し、名門ミケロットが公道仕様のまま過激にチューニングした特別なF40が紡いだ物語と、注目のオークション結果を振り返る。

ルノーF1やIMSAを牽引したジャン・サージュ氏の経歴を振り返る

1970年代から1990年代にかけて、チームマネジメントの専門家としてフランスのモータースポーツ界を牽引したジャン・サージュ氏(1941年〜2009年)は、弱冠20歳だった1961年の「モンブラン・ラリー」でアンドレ・シモンとペアを組み、フェラーリ「250GT」を駆って競技デビューを果たした。
1960年代初頭の欧州フォーミュラ3でレーシングドライバーを経験したあと、サージュ氏は1973年、ジェラール・ラルースおよびポール・アルシャンボーとともに「エキュリー・エルフ・スイス」チームを設立する。同チームはヨーロッパF2選手権に注力し、3年後にドライバーのジャン=ピエール・ジャブイーユをチャンピオンに導いた。

1976年末にラルースがルノー・スポールに招聘された際、彼はサージュ氏を伴って移籍し、ターボF1時代のパイオニアとなった新設F1チームを率いることになる。彼がルノーで活躍していたのは、フェラーリが創立40周年に向けて、創業者エンツォが自社のレーシングの伝統を体現する新型車の開発を目指し、伝説のF40を開発させていた時期と一致する。そしてこの数年間、パドヴァのレーシングカンパニー「ミケロット」の総帥ジュリアーノ・ミケロットは、マラネッロのエンジニアであるニコラ・マテラッツィの「288GTOエヴォルツィオーネ」製作をサポートしており、結果としてミケロットはF40プロジェクトにも深く関与していくこととなる。

IMSAでの活躍を経てサージュ氏がフェラーリ F40を入手

一方、1987年シーズン終了をもってルノーを去ったサージュ氏は、1970年代から「ル・マン24時間レース」などで、サテライトチームとしてフェラーリを走らせていた「シャルル・ポッツィSA」が運営する「フェラーリ・フランス」に招聘され、その後2シーズンにわたり、北米におけるF40の「IMSA」選手権プログラムを統括することとなった。

そしてF40ストラダーレ(公道仕様)が一般に発表されると、シャルル・ポッツィはミケロットに、ル・マン24時間レース向けの競技仕様車「F40 LM」の開発を依頼する。最終的にフェラーリはこのプロジェクトをメーカーとしても支援することを承認し、ミケロットは計18台のF40をLM仕様に整備・改造することとなった。

そしてF40LMの開祖であるフェラーリ・フランスのIMSA参戦マシン2台は、ジャブイーユや気鋭のジャン・アレジらがドライブし、出場した5レースすべてで表彰台を獲得した。このIMSAプログラムにおける目覚ましい戦果は、マネージャーとしてのサージュ氏を大いに満足させたものの、さらに自身が裕福な自動車コレクターでもあった彼は、雇用主であるシャルル・ポッツィを通じて、1989年式のF40を入手することにした。

今回RMサザビーズに出品されたシャシーナンバー「84642」こそが、元サージュ氏のF40なのである。

ミケロットによる136kgの軽量化と527馬力への出力向上を実現

車両とともに残されたサービスブックによると、1990年4月にメーカー保証が付与され、5月には仏アヌシーの自宅で登録された愛車F40をサージュ氏は大いに楽しんでいたようで、1992年7月までにすでに9000km以上を走行していた。しかし元レーサーの彼は、たとえフェラーリ F40であってもノーマルでは飽き足らなかったようで、1994年になるとミケロットに自身の愛車の改造とチューンアップを依頼する。
そのチューニング内容は当時の「CSAI GT選手権」スペックを引用したものながら、F40ストラダーレの公道走行適格性も維持していた。サージュ氏はフェラーリ・フランスのレースチーム責任者を務めていた経験から、自身のコンペティションにおける専門知識と、ミケロットがF40との関わりを通じて達成した一連の開発成果を活用したのだ。

ドキュメントファイルに今なお保管されているオリジナルのチューニング概要書の写しには、シャシーナンバー「84642」に実施されたすべての作業が記載されている。これらの変更が行われた時点で、走行距離計の表示は1万6203kmであった。また出力仕様書では、この個体が「F40 ジャン・サージュ・ミケロット」として明確に区別されている。

ミケロットは、オリジナルのエンジンをI.H.I.社製のターボチャージャー2基で再構築し、専門家のモーリス・シャボールが手掛けた軽量エキゾーストシステムを装着した。これにより、出力は7000rpmでメーカー公表値から49馬力アップに相当する527馬力(PS)に達し、最大トルクに至っては約27kgmアップに相当する86.5kgmを記録した。

そのかたわら30kgの軽量化を図るため、軽量タイプのフロントおよびリアのカウルに加え、スライド式のドアウィンドウに換装された。エアコンシステムを取り外すとともに、F40LMタイプの特製カーボンファイバー製シートが装着され、中央部にキルティング柄をあしらった赤い布地で仕上げられた。また、セーフティ仕様の燃料タンクと給油口が設置され、配管式の消火システムも装備された。

足元を引き締めるのは、ミケロットで改造されたF40LMでは定番ともいえるOZ Racing社製の特別な17インチモノブロックホイールである。これは、レーシングタイヤとロードタイヤのどちらでも装着できるという点で重要な選択だった。

これらに加え、KONI社製調整式ショックアブソーバー、F40LM用ブレーキシステム、コックピットに設置されたブレーキバイアス調整ノブ、フロントおよびリアブレーキ用の冷却ダクトを装備している。ダウンフォースを向上させるため、US市場向けF40と同じ分厚いフロントリップも装着された。

ミケロットのビルドシートによると、このF40はサーキットでも公道でも使用できるマシンとして製作され、ワークショップを出た時点で総重量を136kg削減することに成功していた。つまり、ジャン・サージュ氏のF40は、標準仕様のF40やフェラーリ「F50」よりも軽量であるだけでなく、出力も高くなっていたのだ。

BPRグローバルGTにも出走した伝説の個体が約7億8720万円で落札

サージュ氏はこのチューニングを施したF40を公道でも乗り続けたが、彼は1994年10月に開催された「フェラーリ348チャレンジ」決勝戦のエキシビションレースに出場するため、ポッツィのマネージャーであるダニエル・マリンに貸し出している。このイベントでは、26番のレースナンバーを付けて走った。

また1995年3月には、このF40は仏ポール・リカールで開催された「BPRグローバル・エンデュランスGT」選手権の公式予選に投入され、じつに4台ものマクラーレン「F1 GTR」と競い合うことになる。1995年当時の同シリーズは、マクラーレンF1 GTRやポルシェ「911 GT2」といった錚々たるスーパーカーが覇権を争っていたGTレースの黄金期である。

そのようなハイレベルな予選において、比較的チューン度の低い「GT4クラス」のベストタイム、総合予選順位でもグリッドに並んだ38台中21位となるタイムをマークした。純レーシングカーではない公道仕様のロードカーがトップクラスに肉薄するタイムを出した事実は、ミケロットのチューニングの精度とこの特別なF40のトータルバランスが優れていることの証明だろう。

この活躍のあと、1995年6月にはミケロットへ戻されて全面的な点検を受け、同年10月28日には「シャルル・ポッツィ・リヨン」によって1万5000kmの定期整備を受けた。そして、1996年までサージュ氏の所有下にあったこのF40は英国に輸入され、同年10月に2代目オーナーへと譲渡されることになる。

新オーナーは、愛車となったF40に「40 F」というふさわしいプライベートナンバープレートを付けた。現在も保管されている英国MoT車検書によると、2003年12月の時点の走行距離は1万6979kmであった。過去20年間にわたるドキュメント類により、カタログ作成時点で表示されていた現在の走行距離2万2699kmまでの使用履歴が確認できるという。

英国での整備記録簿は2012年まで遡り、2025年10月には新品のアルミ製燃料タンクが取り付けられた。直近にあたる2025年2月の整備では、新品のカムベルトとスパークプラグ、燃料フィルターの交換に加え、エンジンオイルおよびフィルターの交換が行われている。

そして一連の点検の結果、エンジンとトランスミッションのナンバーが一致していることが確認された。1994年のミケロット社によるチューニング記録を確認したところ、エンジンにはI.H.I.製「B52」型ターボチャージャーが搭載されており、クリスティアーノ・ミケロット氏もこれが正しい仕様であることを確認している。

現在装着されているエキゾーストはトゥービ(Tubi)製システムである。エアコンシステムはミケロット社が当初に取り外して以来、依然として装備されていない。

また、消火システムや専用のカーボンファイバー製バケットシートに加え、軽量なコニ製調整式ショックアブソーバーとブロンズ製のサスペンションスリーブがそのまま残されている。ブレーキシステムとペダルボックスは、ミケロットが装着した当時のF40LM仕様を維持しており、米国仕様のスプリッターやOZレーシング製のモノブロックホイールも誇らしげに維持されている。

RMサザビーズ欧州本社の担当者は、オークションに際して次のように語った。

「著名なオーナー歴とハイスペックなミケロットのチューニングパッケージのおかげで、フランス仕様の公道走行車としては、もっとも重要な1台と見なすことができるでしょう」

強い自信とともにアピールしつつ、270万〜320万英ポンド(邦貨換算約5億9000万〜6億9900万円)という、ここ数年におけるフェラーリ F40の販売事例を鑑みても、比較的高めのエスティメート(推定落札価格)を設定していた。

ところが、迎えた競売ではビッド(入札)が予想以上に進み、終わってみればエスティメート最高値を大幅に凌駕するとともに、英国におけるF40ストラダーレの価格記録をも更新する360万5000英ポンドに達した。現在のレートで日本円に換算すれば、約7億8720万円で落札されるというビッグディールとなったのである。

※為替レートは1ポンド=218.6円(2026年7月20日時点)で換算

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

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