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1935年に完成していた世界初のミニバンは、モノコック構造とフルフラット車内も実現。ミニバンの祖と言われる画期的なスタウト「スカラブ」

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

1935年に誕生したスタウト「スカラブ」は世界で最も革新的なクルマだった!

モータージャーナリストの中村孝仁氏の世界に広がる豊富な経験談を今に伝える連載である。今回は、1930年代にモノコックボディや四輪独立懸架、自由なシートレイアウトなど、現代のミニバンに直結する技術を確立していたスタウト「スカラブ」を取り上げる。航空技術者ウィリアム・スタウトが予見した未来の自動車の姿と、その革新的なメカニズムに迫る。

RRレイアウトでモノコック構造やフラッシュサイド、全床フルフラットを戦前に実現

これまで多くの一般的に言われてきた既存の考え方が、このクルマに出会ってみると、間違いだったことに気づかされるのである。

例えばモノコックボディだ。アメリカではユニフレームなどともいわれるが、これが出現したのは1950年代以降とされているなか、スタウト「スカラブ」は1930年代にそれを実現している。また、いわゆるフラッシュサイドという、フェンダーやトーボードがボディ内に収まった形状のデザインは、ピニンファリーナが手がけたチシタリアが最初と言われてきたが、それもスタウト・スカラブが1935年には確立していたのである。

それほど斬新なクルマが、1935年に出来上がっていたという事実に衝撃を受けたのは、アメリカ・メーン州にあるオウルズヘッド交通博物館を訪れた時だ。実はこの時、結構危ない橋を渡っている。

少し横道に逸れるが、ここへ行ったのは2001年9月のこと。とある試乗会に参加して、その試乗会の途中でこの博物館を訪れた。帰国は個人的に友人を訪ねる目的でデトロイトに寄り道したから、9月9日のことだった。その2日後、あの忌まわしい9.11テロが起きた。もう1泊していたら、帰れなくなっていたかもしれない。それだけではなく、筆者がデトロイトに向かったのはメーン州のポートランド空港からであり、ここから事件の首謀者の一人、モハメド・アタが飛び立っている。まぁ筆者が乗ったフライトはニューヨーク行きではなかったので問題はなかったが、当時はかなりビビったのを今でも鮮明に思い出す。

ミニバンの先駆けとなるパッケージと現代を見据えた超先進的思想

そんなメーン州の博物館に、このスタウト・スカラブは展示されていた。これがどんなクルマかというと、その形はまるでミニバンである。そのスタイリングからして今を先取りしていた感がある。室内は、ミニバンの場合3列シートなどというが、列の概念はなく、ドライバーズシート以外はすべて固定されておらず、その置き方は進行方向向きだろうが横向きだろうが自由である。つまり、単に置いてあるだけだ。

それは今の安全基準から行けばNGだが、実際にこれを考案し、設計し、そして生産したウィリアム・スタウトは、25万マイル以上も走行して、車内でコーヒーを淹れて飲んでも、走行中にそれがこぼれることがなかったほど快適で揺れないと語っている。

このウィリアム・スタウトなる人物は航空技術者で、初期の全金属製機体を作り上げた人物でもある。彼自身は軽量なリアエンジン・空冷式自動車の早期提唱者の一人であり、その点ではポルシェを生み出したフェルディナント・ポルシェや、タトラを生み出したハンス・レドヴィンカなどと同じ思想と思考を持つ人物であった。技術者であった彼は同時にジャーナリストとしても「ジャックナイフ」のペンネームで文章を書くような、まさにマルチな人間であった。そして1935年にはSAE(自動車技術者協会)のプレシデントに就任している。

その彼がSAEの講演で話していたことは、まさに現代を予見していた。一部を紹介すると「将来の自動車は長距離ドライブにおいて、現在よりもゆとりのある居住空間を備えるようになると考え、『ごく近い将来』、当時のツーリングカーと豪華なトレーラーの中間に位置し、それ単体で完結した機能を持つ車両が開発される。さらに当時の自動車と同じホイールベース、全幅、全高であっても、乗員や荷物のためのスペースを拡大し、装備を充実させ、快適性を大幅に向上させることは可能だ。400〜600マイル(約640〜960km)の走行が1日の容易な旅程となる時代を見据え、『道路は整備され、許容速度は引き上げられ、交通規制はより適切になり、安全性は飛躍的に高まるだろう』」。これは、見事に今を予見している。

最先端の航空機技術を応用した革新的なメカニズムを紐解く

そんな彼がこの第2次大戦前の1935年に作り上げたのが、スタウト・スカラブである。航空技術を生かし、ボディはスペースフレーム(まるでメルセデス・ベンツ「300SL」のような)に金属のフロアを持つユニフレーム構造で、ボディと車体が一体化しており、サスペンションにはコイルスプリングとオイル式ショックアブソーバーが採用されている。これも飛行機のランディングギアからの応用だ。しかも、当時としては革新的な四輪独立懸架である。

1934年に作られた初期のプロトタイプは、フォードのフラットヘッドV8と3速のトランスアクスルが採用されていた。それにしてもドア、インストルメントパネル、シートフレームはすべてマグネシウム鋳造品という凝りようである。

独特なスタイルのボディは俗に言う流線形だが、それは前面からの空気流に対処するものではなくて、実は横風に対応するスタイルなのだそうで、風向きや風の強さに関わらず、確実な操舵性と最大限の安定性を確保することが最大の目的なのだそうである。その形がスカラベ(甲虫類)に似ていることからその名がつけられたそうで、古代エジプトではその習性が神秘的だと捉えられていたそうである。

残念ながらこの時点で商業生産には至らず、スタウト・スカラブは出資者のために作られたであろう9台ほどが作られたに過ぎなかった。そして現存する個体で実働するのは、このオウルズヘッド交通博物館のモデルのみだという。

世界初のグラスファイバーボディとエアサス、さらにはアクティブサスへと進化

ウィリアム・スタウトの話はまだ続き、この奇抜なクルマ以外にも「スカイカー」と呼ばれた飛行機とクルマのハイブリッド車両を作り上げたり、戦後になってお披露目されたスカラブの発展型モデル「スタウト・スカラブ・エクスペリメンタル」を作り上げている。

このクルマは世界初のグラスファイバーボディを持ち、サスペンションには、なんとエアサスペンションが採用されていた。新しいサスペンションは、90km/hほどのスピードでコーナリングしても、置いた灰皿が移動することもないという。何故なら独特な振り子構造のサスペンションは、まさにアクティブサスペンションのように、コーナリング中にリーンインするから車体が傾かないのである。そんな夢のようなモデルが、すでに戦時中に作られていたというわけである。

結局スタウト・スカラブが生産に至らなかったのは、誕生した時代が悪かったという側面もあるが、何よりも奇抜すぎるスタイルや、価格が時流に合わなかったということなのだろう。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

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