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名ドライバーは名監督だった! 30年に渡りチーム国光を率いた名伯楽【天才・高橋国光の足あと 第3回(全3回)】

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/SUPER GT

監督であり若手を育て上げる名伯楽だった

 チーム国光を1992年に立ち上げたあとも、現役として全日本F3000選手権にも出場を続けていた国さんですが、設立から3年目の94年シーズンを限りにトップフォーミュラからは引退し、JGTC一本に専念することになりました。そのJGTCでは94年から96年までの3年間を土屋選手とのコンビで戦い、97年から99年までの3年間を飯田 章選手とのコンビで戦ったのちに、ドライバーとして一線から身を退くことになりました。それからはチーム国光の監督、あるいは総監督としてJGTC(およびその後継シリーズとなったSUPER GTシリーズ)に参戦を続けてきました。

 そんな国さんがチームに招聘したドライバーのラインアップがすごい! 自らが引退した翌年からは、パートナーだった飯田選手をエースに据えてそのパートナーを入れ替えていましたが、3年目にはエースの飯田選手も含めてふたりのドライバーを総取っ替え。そのパターンで2009年までは短いスパンでドライバーが入れ替わっていました。

 しかし2010年に伊沢拓也選手と山本尚貴選手を招聘すると、そこからは若い山本選手を軸にドライバーコンビを組み立てるようになっていきます。そして2018年と19年には山本選手のパートナーに2009年のF1GPにブラウンGPから参戦し、圧倒的な強さでチャンピオンに輝いたジェンソン・バトン選手を起用したのです。もちろん国さんの思惑ひとつでこのコンビが誕生した訳でもないのでしょうが、いずれにしても、2018年シーズンは、驚きの声に迎えられてのシーズンインとなりました。

2018年SUPER GT最終戦もてぎにて

 しかし、いざシーズンが始まってみるとレースの度に新たなウィナーが誕生する混戦のシーズンになったのです。山本/バトン組はシーズン中盤のSUGOで優勝し、ディフェンディングチャンピオンの平川 亮/ニック・キャシディ組と同ポイントで最終戦を迎えることになりました。この最終戦では、かつて山本選手とコンビを組んでいた伊沢選手と若い野尻智紀選手のコンビが勝つことになるのですが、山本組は彼らとの勝負はお預けで、チャンピオン候補となっている平川組との勝負を優先。彼らに一歩先んじて3位入賞を果たして見事タイトルをゲットしています。

2018年を制した国さんとジェンソン・バトン、山本尚貴

国さんの育てたドライバーたちが今後も日本のモータースポーツを盛り上げていく

 チャンピオン会見で山本選手が「まだ僕が無名のルーキーだったとき、チームに呼んでくださった高橋国光総監督に感謝の気持ちを伝えたいです」と切り出していましたが、これを受ける格好で国さんは「山本(尚貴)君は、最初にウチのチームに来たころは子どもみたいでした。だから僕もいろいろアドバイスしてきたのだけれど、今ではもう何もアドバイスすることがなくて、逆に僕が勉強になることも多いくらい。スーパーフォーミュラでもチャンピオンを獲ったし、本当に世界に通じるドライバーに成長したなぁと、今日も改めて思いましたね」と、山本選手の成長を讃えていました。

 いまやホンダを代表する真のエースに成長した山本選手ですが、国さんのもとで修業した年月が、彼の血となり肉となっているのは明らかです。昨シーズンはほぼ手に入れていたと思った2連覇が、思わぬハプニングで零れ落ちてしまいましたが、あらためてそれを取り戻しに行こうとしていた矢先に国さんの訃報が伝えられた格好になりました。それでも山本選手はコンビを組む牧野任祐選手とともに、シーズン後にはいい報告ができるよう、チームと一丸になって頑張っています。国さんもいつものような笑顔で、その報告を心待ちにしているに違いありません。合掌。

2020年シーズンのSUPER GTを制したときの国さん、山本尚貴、牧野任祐

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  • 1996年の富士スピードウェイイベントでのシーン
  • 1997年の富士スピードウェイイベント
  • 2018年SUPER GT最終戦もてぎにて
  • 2018年を制した国さんとジェンソン・バトン、山本尚貴
  • 2020年シーズンのSUPER GTを制したときの国さん、山本尚貴、牧野任祐
  • 2022年5月のSUPER GT第2戦富士での国さん追悼ブース
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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