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日産R33「スカイラインGT-R」が運命を変えた! 日々進化を続ける「ボーダー」のチューニングにかける思いとは

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TEXT: 増田高志 PHOTO: GT-R Magazine

  • ボーダーのR33

  • 全盛期に比べて現在はRB26DETTのハードチューニングの数は減ってきているが、それでもバルブクリアランスの調整用シムは何百枚も揃えて、常に対応できるようにしている

  • ボーダーが手掛けたRB26エンジン
  • ボーダー指山代表
  • ボーダーのR33
  • ボーダーのR33

チューナーの心に残る厳選の1台を語る【ボーダー 指山 勉代表】

 絶対的なパワーを追求していったからこそチューニングに関するさまざまなことが学べた。開発車両のデモカーとは違って、ユーザーカーはどうすれば何が起こるかを把握する必要がある。本気で取り組んだぶん、教わった項目はとても深い。

(初出:GT-R Magazine 153号)

ロータリーエンジンから主軸がRB26へと変化した

 熊本北部の炭鉱の町。そこが指山 勉代表の生まれ故郷だ。当時は景気がよく、遊園地や大型プール、それに競馬場など子供ばかりでなく大人も楽しめる娯楽施設が充実。全国から人が集まり、活気に満ちていた。小学生時代に漫画「サーキットの狼」の影響でスーパーカーに夢中になった指山代表は、主人公の「風吹裕矢」になりきって遊園地のゴーカートで走り回っていたという。

ボーダー指山代表

 初めての愛車は、高校生のときに手に入れた2ドアクーペのルーチェだ。金色のボディカラーでRSワタナベを履かせていた。夜な夜な街のゼロヨン会場に出没しては、同じようなレベルの仲間とデッドヒートを繰り返す。熱くなって回しすぎてしまい、ロータリーエンジンがブローしてしまったことをきっかけに、18R-Gを載せたダルマセリカに乗り換えた。今度のホイールはワークのエクイップで、カヤバのショックも3分割のリヤスポイラーも自分で取り付けた。

 その後、名古屋の大学に入るも半年で中退。熊本に戻りはしたが実家には帰りにくく、一人暮らしを始める。大好きなクルマも手放して途方に暮れていた。炭鉱の景気も右肩下がりで、以前のような活気はない。今後どうするか半年間あれこれ考えたが、まともな答えは見つからず、とりあえず東京を目指すことに。

 関東の大学に通う高校時代の友達を片っ端から訪ねて、居候生活が始まる。3カ月後にはなんとか仕事を見つけ、がむしゃらに働いた。住宅のリフォーム建材を売る仕事で、これが性に合っていた。お客さまの喜ぶ顔がやる気を後押しし、努力が面白いように成績に反映された。

映画の影響でモータースポーツの世界に飛び込む

「これなら一人でもできる」と21歳で独立。2年後には従業員を40人近くも抱えるようになっていた。そんなとき、何気なく見た映画「グッバイ・ヒーロー」で指山代表は忘れかけていたクルマへの情熱が再び沸き起こる。F1のアクシデントやクラッシュシーンをふんだんに使ったその映画は刺激的だった。実際のレースシーンならではの生々しさから恐怖を覚える人が多いはずだが、指山代表は違った。

「車載映像に驚愕しました。ハンドルをちょっと切っただけなのに、きついコーナーもぐいぐいと曲がっていく。その抜群のコーナリング性能に圧倒されたんです。久々に『サーキットの狼』を思い出しましたね。そして自分でもレースをしてみたいと、本気で思うようになりました」

 指山代表はロータリーエンジンを載せたフォーミュラマシンで戦うRSクラスに25歳で参戦し没頭した。メンテナンスはすべて自分。レースが近づくと筑波サーキットの前に借りているレンタルガレージで夜通しマシンを整備する。朝の8時には一旦会社に戻り、仕事の段取りをつけて従業員を送り出し、昼間に仮眠。そして夜の8時過ぎに会社を閉めて再び筑波に向かう。こんな無茶な生活を続けた。

レースで得たノウハウを活かしチュニーニングショップをオープン

 29歳で限界を感じ、レースをやめてチューニングショップ『ボーダー』を立ち上げた。最初は今までの仕事と並行して活動していたが、30歳でショップだけに専念。

「何かと縁のあるロータリーをメインにして、FDを買ってワイドボディキットも製作しましたね。レースのメンテでFRPを使い慣れていたので、その後も多くのクルマのエアロパーツを作りました」

 レースをやっているころからクルマの知識は自己流で学んでいった。疑問が出るとその道のスペシャリストに訪ねて回る。突き返す人もいれば、丁寧に教えてくれる人もいる。回答もいろいろで、それを実践して失敗して覚えていく。修行はしていないが「諦めなければなんとかなる」という粘り強さを身に付けた。

 31歳のときにコンピュータチューンのツール一式を購入して勉強に明け暮れた。日産車メインに開発されていたのでマツダ車用にアレンジしなければならない。その苦労が功を奏して、ノウハウが確実に自分のものになった。指山代表が「やっとチューニングが見えてきた」と実感したときでもある。

 レースを経験してきた関係でボディ補強やクロスミッション、LSDの組付けが得意で、他とは異質なRX-7チューニングを心掛けた。

 しかし、当時のGT-Rチューニングの勢いの前ではそんな努力も色褪せてしまう。そこで指山代表は平成8(1996)年にR33GT-Rを購入。想像以上の素性のよさに感動した。RX-7と比べると半分程度の努力で、狙ったパフォーマンスが得られる。瞬く間にR33にのめり込んでいった。

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