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【悪魔のフィアット】21706cc航空機用エンジンを搭載した「メフィストフェレス」の最高速度は?

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Stellantis N.V.

S.B.4にフィアット製の航空機用エンジンを搭載した“悪魔のクルマ”

ブルックランズでニュートン/ネイピアとのマッチレースで勝利を収めたナッザーロ/フィアットでしたが、その後しばらくの間は表舞台から姿を消すことに……。第一次大戦が終結し、久々の平和が訪れた1922年、新たなオーナーとなったジョン・ダフのドライブでレースにカムバックしたS.B.4でしたが、レースの途中でシリンダーブロックが砕け散るほどのエンジントラブルに見舞われてしまいました。

しかし、これで廃車になってしまうと多くの関係者が危惧したのですが、そんな予想に反してS.B.4は再度カムバックを果たします。アマチュアながら名ドライバーとして活躍していた英国人のアーネスト・エルドリッジ卿(Sir Ernest A.D. Eldridge)がS.B.4を手に入れ、大幅に改造することになりました。

ホイールベースを延長し、壊れた4気筒エンジンを航空機用の21706cc(ボア×ストローク=160.0mmφ×180.0mm。最高出力は320HP)の直列6気筒24バルブエンジンに載せ替えたのです。エンジンの銘柄としてはフィアット製のA12Bisで(自動車用と航空機用でまったくの別物でしたが)同じメーカー製のエンジンにスワップしたことになります。

悪魔の名前はイベントに立ち会った観客やマスコミによって命名!?

ただし、他人から魂(エンジン)を盗んだとして、ファウスト博士の魂を買う悪魔に因んで、メフィストフェレスと呼ばれることになりました。もっともこのネーミングは、当時のオーナーだったエルドリッジ卿や、もともとの製作メーカーであるフィアットが名付けたものではなく、イベントに立ち会った観客やマスコミによって命名されたと伝えられています。

またその理由はファウストの物語ではなく、サイレンサーを装着していない排気音に驚いた観客が「まるで地獄の底から聞こえてくる悪魔の唸り声のようだ」と感じて命名した、とも伝えられています。フィアット・メフィストフェレス

エルドリッジ卿が出場したイベントは1924年にフランスはパリ近郊にあるアルパジョンで行われた陸上速度の世界記録挑戦会でした。このとき、エルドリッジ卿は236.340km/hを記録したのですが、トランスミッションにリバースギヤが組み込まれていないことを理由に、この記録は公認されませんでした。

そして代わりに優勝したのはフランス人のルネ・トーマスがドライブしたドラージュで、記録は230.643km/hでした。この裁定に納得できなかったエルドリッジ卿は、トランスミッションを改造してリバースギヤを組み込み、6日後に再挑戦。234.980km/hを記録して雪辱を果たすことになりました。

* * *

最後になりますが、フィアット・メフィストフェレスのメカニズムについても少し紹介しておきましょう。搭載していたエンジンは、先にふれたようにフィアット製の航空機用でA12(正確には進化版のA12 Bis)型直列6気筒、液冷のシングルカム(SOHC)24バルブ・エンジンで、ソレックス製のツインキャブを3連装していました。

トランスミッションは前進4速のノンシンクロでしたが、のちにリバースギヤが組み込まれて、ファイナルドライブはチェーン式となっていました。S.B.4のそれを延長したラダーフレームに組み付けられたサスペンションは、前後ともにリーフスプリングで吊ったリジッド式で、それぞれフリクション式のダンパーを装着しています。

ブレーキはリアにドラムブレーキが装着されているのみで、1780kgのボディに対してはストッピングパワー不足が危惧されます。ボディサイズは全長5091mm×全幅1850mm×全高1400mmでホイールベースは3450mmでした。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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