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トヨタ初の280馬力は「スープラ2.5GTツインターボR」でした。「R32 GT-R」や「Z32フェアレディZ」の陰に隠れた名車を振り返ります

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: AMW編集部

ドライビングプレジャーの高い1台だった

国産スポーツカーの大きなビンテージイヤーは1989年(平成元年)。この年、日産「フェアレディZ」(Z32型)と日産「スカイラインGT-R」(R32)が登場し、国産ハイパフォーマンスカーは280ps(自主規制)時代に突入する。マツダは3ローターのロータリーエンジン(20B)を搭載した「ユーノス コスモ」を送り出したが、トヨタはしばらく静観していた。だが、Z32やR32に遅れることおよそ1年。トヨタが280ps戦線に送り出したのが、「スープラ2.5GTツインターボR」だった。

タイヤも当時最強といわれたブリヂストンのポテンザRE71を装着

エンジンこそ最新の1JZが与えられたが、シャシーは4年前にデビューした70スープラのまま。エンジンだけパワーアップし、バランス的にどうなのかと思いきや、2.5GTツインターボRは、意外にもFRスポーツのお手本のようなハンドリングに仕上がっていた。それを可能にしたのは、まずエンジンが軽くなったこと。3Lの7M-Gよりも2.5Lの1JZは軽量で、前後の重量バランスが改善されたのが大きい。

トヨタ スープラのエンジン

また前後のダブルウィッシュボーンサスペンションも横剛性が十分にあり、ストローク量も多かった。ダンパーもターボRからビルシュタイン製になり、峠などの荒れた路面でも凹凸をしなやかに吸収していた。

アクセルレスポンスもよく、トルセンLSDが標準化されたことでパワースライドもしやすくなった。しかもドリフトコントロールが容易だったので、「280馬力になって速い」というより、ハンドリングを楽しむスポーツカー、ドライビングプレジャーの高いクルマというイメージだった。

インテリアもレカロシートが標準で、ステアリングとシフトノブはMOMOの本革製を採用。ブレーキローターも500台限定だった3.0GTターボAと同じくサイズアップしていた。タイヤも当時最強といわれたブリヂストンのポテンザRE71(前後225/50R16)が与えられていたことも、280psの1JZとのバランスをとるのに欠かせないファクターだったのは間違いない。

しかもこれだけの好条件が備わっていながら、70スープラがモデル末期だったこともあり、車体価格は280ps軍団の中でもっとも安価な338万2000円。ライバルが華々しかっただけに、ちょっと存在感が薄かったが、70スープラの中でもこのターボRの完成度はなかなかのもので、もっと評価されてもいい1台だったといえるだろう。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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