1週間かけてドイツ国内をめぐるラリーに参加
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第22回目は、1998年にGMがまだ日本へ輸入していたオペルから「ドイツを周回するクラシックカーラリーに参戦しませんか」と声をかけてもらい、参加したときのことを振り返ってもらいました。
モノコック構造を持った最初期の量産モデル
1998年に当時まだGMが日本へ輸入していたオペルから、ドイツを周回するクラシックカーラリーに参戦しませんか? というこの上ないオファーをもらった。その名は「ドイツ2000kmラリー」。おおよそ1週間かけてドイツ国内をめぐるというもの。すでに統一されていたからもちろん昔の東ドイツ領内も走る。
内容としては2000kmをざっくり2で割って、1000kmずつ。前半と後半に分け2つのパートを4人のモータージャーナリストがペアを組んで走るというもの。我々は後半のパートを任された。私とペアを組んだのは『ティーポ』という雑誌を立ち上げた山崎憲治氏である。
そしてドライブするのは1937年製のオペル「オリンピア」だ。クルマはオペル・ミュージアムから引っ張り出したもの。つまり普段は博物館に展示されている代物だ。
このクルマは初代のオリンピアで、1.3Lの直列4気筒で24psを発生させるエンジンを持つ。正式車名はオペル「オリンピア カブリオレ リムジーネ」。当時としては画期的なモノコック構造を持った世界でも最初期の量産モデルであった。
スタートから最初の1000kmを走破したクルーからクルマを受け継いだのはアイゼナッハという街。もともと自動車の街で戦前はBMWが工場を稼働させていたが、第2次世界大戦後は東ドイツに帰属し、東ドイツのクルマ、ワルトブルグを生産していたが、東ドイツ倒壊後はオペルがその工場を引き継いでいた。つまりオペルにとっては所縁の街というわけである。
さて我々の行程は全1週間のうち、後半の4日間。ドイツとしてはまだまだ爽やかな7月のことだった。日本から空路フランクフルト経由でアイゼナッハに到着した翌日にスタートという、いささか強行軍であった。到着した夜、簡単なブリーフィングとともにラリーの内容が聞かされた。
いわく、コースブックが渡され、基本的にルートはそれに従う。スピードの指示はなく、交通ルールに従う。チェックポイントでスタンプをもらい、スペシャルステージでは指示速度で走り、その結果によって減点ポイントが決まる等々。もっともそんなことは、我々のクルマが特別出場枠で、賞典の対象外だからあまり大きな意味を持たない。とにかく目指すのは完走である。