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90年代の日産「パルサーGTI-R」のワークスマシンが復活! ステッカーに至るまで完全復元されたクルマを前に、開発ドライバーだった頃の記憶が蘇る【Key’s note】

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TEXT: 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)  PHOTO: 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)/NISSAN

  • 木下隆之氏は、このマシンの開発ドライバーを担当していた
  • 日産 パルサーGTI-R:細部まで復元されている
  • 日産 パルサーGTI-R:ニスモフェスティバル2025では、木下さんがドライバーとして走行した
  • 日産 パルサーGTI-R:ニスモフェスティバルで被ったヘルメットは、この日限定仕様に
  • 日産 パルサーGTI-R:1992年のポルトガルラリー
  • 日産 パルサーGTI-R:スウェーデンラリー
  • 日産 パルサーGTI-R:1991年アクロポリス・ラリー
  • マシンは、当時開発に携わったOBたちからの記憶を頼りに復元されている
  • 日産 パルサーGTI-R:1991年アクロポリスラリーに出場したD・ルウェリン/P・デュークマン組のマシン

当時の仕様そのままに復元

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のキーワードは「懐かしのマシンが復活」。NISMO FESTIVAL(ニスモフェスティバル)で久々に対面した日産「パルサーGTI-R」のお話です。

開発ドライバーは僕が担当していた

まさか蘇るとは夢にも思わなかった。1991年にWRC世界ラリー選手権を戦った日産「パルサーGTI-R」が、当時のグループA仕様のまま、フルレストアされたのだ。モータースポーツにことさら強いこだわりを持つ日産が、「技術の日産」の威信をかけて投入したスーパーウエポンである。

フルレストアを成功させたのは、日産車内の任意団体である「名車再生クラブ」だ。仕事を終えたクルマを愛する仲間たちが夜にガレージに集い、コツコツと仕上げ完成させた。

パルサーGTI-Rは、5ドアバッチバックボディに直列4気筒2Lインタークーラーターボを搭載する。駆動方式は4WDだ。そもそもパルサーは日産の主力的ファミリーカーだが、そのコンパクトなボディがラリーを戦うには最も相応しいと白羽の矢が刺さり、半ば強引にハイパワーエンジンが押し込まれた。

たとえばR32型「スカイラインGT-R」がグループA仕様を前提に開発されていたのとは異なり、市販後にラリー参戦プロジェクトが立ち上がったことが仇となり、アクロポリスラリーなどで表彰台には輝いてはいるものの、世界チャンピオンにはなれなかった。いわば悲劇のラリーカーである。ただ、それだけに同情と愛着は深い。

フルレストアされたパルサーGTI-Rのドライブが許されたのは僕だった。というのも、1993年当時の僕は日産とレーシングドライバー契約をしており、このマシンの開発ドライバーを担当していたのだ。

当時開発に携わったOBたちからの記憶を頼りに復元された

僕の記憶では、1992年〜1993年にかけて、日本のとある極秘の林道を閉鎖して、昼夜を問わず限界走行していたのだ。壊しては直し、改良しては壊した日々。世界転戦するラリー部隊からのリクエストに応えるべく、徹底的にテスト走行を繰り返したのだ。

実際に世界ラリー選手権を走ったのは、ワールドチャンピオンのスティグ・ブロンクビストだったが、僕らは彼らが勝てるマシンを作るために懸命に開発に没頭した。そのマシンが蘇ったことで僕にドライブが許された。

それにしても、とても忠実に復元されていたことに驚かされた。搭載するエンジンやコンピュータなどはもちろん当時の仕様そのままに復元されている。それは細部に及んでいた。参戦した証であるステッカーまでもあらたに復元されていたほどである。

日産車内に眠っていた仕様書をひも解き、当時開発に携わったOBたちからの記憶を頼りに復元しているのである。それは日産だから可能なことだろうが、それだけで完成するはずもない。深い愛情がそうさせたのである。

ちなみに、名車再生クラブはこれまで数十台の名車を復元している。神奈川県座間市にある「日産ヘリテージコレクション」にその数々が動態保存されている。ぜひ見学に行ってみてはいかがでしょうか。

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  • 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)
  • 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)
  • 1960年5月5日生まれ。明治学院大学経済学部卒業。体育会自動車部主将。日本学生チャンピオン。出版社編集部勤務後にレーシングドライバー、シャーナリストに転身。日産、トヨタ、三菱のメーカー契約。全日本、欧州のレースでシリーズチャンピオンを獲得。スーパー耐久史上最多勝利数記録を更新中。伝統的なニュルブルクリンク24時間レースには日本人最多出場、最速タイム、最高位を保持。2018年はブランパンGTアジアシリーズに参戦。シリーズチャンピオン獲得。レクサスブランドアドバイザー。現在はトーヨータイヤのアンバサダーに就任。レース活動と並行して、積極的にマスコミへの出演、執筆活動をこなす。テレビ出演の他、自動車雑誌および一般男性誌に多数執筆。数誌に連載レギュラーページを持つ。日本カーオブザイヤー選考委員。日本モータージャーナリスト協会所属。日本ボートオブザイヤー選考委員。
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