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ポルシェ「904 カレラ GTS」との出会いは突然に…コクピットに招き入れてくれたのは式場壮吉氏その人でした【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

904との出会いは突然だった

残念ながら、904 カレラ GTSをドライブした経験はない。しかし、じつに素敵な体験をしている。それは1964年も押し迫った頃の話であるが、我が家の家業は洋服屋である。まだ、オートクチュールなどという言葉が流行る前の時代だったが、そのオートクチュールの仕事をしていた。叔父は有名な服飾デザイナーだったが、父親はいわゆる一匹狼で、叔父の会社に入るのを拒み、独立した店を構えていた。その小さな洋服屋(婦人服専門である)で、一大イベントのファッションショーを開いた。

そしてモデルとしてやってきたのがIさんという素敵な女性で、彼女は渋谷にいわゆるスナック的なお店を持っていた。ショーが終わっていざ打ち上げパーティーという時に、そのお店に行った。もちろんまだ12歳だった小学生は飲めないが、一緒に連れて行ってもらった。

宴もたけなわという時に、地下にあるお店にひとりの男性がやってきた。常連さんらしい。するとモデルを務めたIさんが突如話しかけてきた。

「タカちゃん(私のことだ)、クルマ好きなのよね。見せてもらったら?」

その男性も「じゃあ」と、私を連れて今来た階段を上がり地上に……。雨が降っていた。そして目の前に置かれていたクルマこそ、まごうことなきポルシェ「904 カレラ GTS」であった。

式場壮吉氏がドアを開け招き入れてくれた

そしてこの常連さんと思えた男性こそ、日本グランプリの優勝者、式場壮吉氏その人だったのである。ドアを開けて、「どうぞ」と小学生の私を招き入れてくれた。

式場さんはグランプリの後、このクルマを日常的に使っていたようである。その後も一度だけシルバーのボディを目黒通りで見かけたことがある。もちろん、小学生の体格だから、ステアリングに触れるにしてもシートのバックレストから背中を離し、腕を思いっきり伸ばさなければ届かなかった。ペダルには当然足も届かない。でも、グランプリ優勝マシンのコクピットに収まり、ステアリングを握るという貴重な体験をさせてもらった。

残念ながら、その後式場さんとお会いする機会はなく、雨に濡れて街灯の下に停められたシルバーの美しいボディだけが鮮烈な印象として残っている。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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