1965年のル・マン24時間レースでトップチェッカーを受けた
2025年2月4日〜5日にRMサザビーズがフランス・パリで開催したオークションにおいて、フェラーリ「250LM」が出品されました。出品車は、トータルで32台が製作された250LMの中では6番目に製作されたモデル。シャシーナンバー「5893」は、250LMにとっては2回目の参戦となった1965年のル・マン24時間レースにNARTからエントリーした1台でした。
パリオークションのラストを飾った250LM
RMサザビーズにとって2025年2月は、まさに驚異的な売り上げを記録した月だった。その始まりは2月1日、ドイツのシュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツ・ミュージアムで開催されたオークションにおいて、ストリームライナーボディで有名な1954年式のメルセデス・ベンツ製グランプリカー「W196R」が一般に公開されるオークションでの記録としては史上2番目の価格となる、5115万5000ユーロ(邦貨換算約82億2572万円)で落札されたこと。
それから3日後に始まる同社のパリオークションへの期待が、さらに高まったことは言うまでもない。ちなみにルーブル美術館にも近い、パリ市内のカルーゼル広場地下にある見本市会場で開催されるパリオークションで最終ロットを飾るのは、1964年式のフェラーリ「250LM」。それははたしてどのようなヒストリーを持つモデルだったのだろうか。
ピニンファリーナでワンオフ製作したボディ
250LMという車名に掲げられる「LM」の称号が、1923年から続く伝統の耐久レース、ル・マン24時間を意味していることは容易に想像できるところだろう。250LMはフェラーリのレーシングカーが、フロントエンジンからミッドシップへと基本設計を変更する、まさにその過渡期に誕生したモデルであり、実質的にはあの「250GTO」の後継モデルとして位置づけられる。
正式な発表は1963年のパリ・サロン。丸断面のスチールチューブで組まれたスペースフレームは、すでにF1マシンがセミモノコック構造に進化していたことを考えれば、時代の最先端にあるものとは言えなかったが、その開発がきわめて短期間で行われたことを考えれば、それも致し方ないところだ。
ちなみにこのパリ・サロンに展示された250LMのシャシーナンバー「5149」は、ボディをピニンファリーナでワンオフ製作したもので、そのディテールはその後のモデルとはやや異なる。またミッドのV型12気筒エンジンが3L仕様であったことも……。
1シリンダーあたりの排気量が250ccに設定されたV型12気筒エンジンを搭載するモデルであるから、250LMという車名は本来正しいものなのだが、その250LMの第1号車のデリバリーを受けた、かのルイジ・キネッティ率いるアメリカのNART(ノース・アメリカン・レーシング・チーム)は、そのレース・デビューに際してV型12気筒エンジンを3.3L仕様に(つまり275ユニットに)排気量拡大。ただしその車名は後にGTとしてのホモロゲーションを得ることを目的に、250LMのままとされていた。だが結局、フェラーリのその目論みは成功せず、250LMはGTとしてではなく、プロトタイプカーとしての公認を得るにとどまっている。








































































































































