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バブル時代、日本初の公道走行イベント「六甲モンテミリア」の熱量が半端なかった! 国宝級クラシックカーとともに走った100キロの記憶【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

  • 1989年のモンテミリア写真でポーズをとるのは今は亡きバンド頭脳警察のボーカルだったパンタ
  • 1988年に会場を沸かせたチシタリア 202 サヴォヌッツィ クーペ
  • 1988年のポートアイランド風景
  • フィアット アバルト1000SPバルケッタ トゥヴォラーレ
  • これも1989年のシーン。アルヴィスをドライブするのは当時のCG編集長小林彰太郎氏
  • フェラーリは当たり前に多数いるが250LMは別格
  • 何とアストンマーティン DBR1だ。御存知1959年のル・マン優勝車でその時のドライバーはキャロル・シェルビーである
  • 私がコ・ドライバーを務めたMG TF。傍らに立つのは従兄弟
  • 俗に「イタリアの虫」と呼ばれたスタンゲリーニ
  • 名メカニックだった阪納誠一氏がドライブするブガッティT13
  • MG TFで参加した。このクルマで東京から神戸まで自走した
  • 1987年のポートアイランド風景
  • 1987年の参戦時に休憩スポットで撮影したフェラーリ 250SWB

第3回の六甲モンテミリアに参加

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。クラシックカーのイベントが盛んな昨今ですが、今回は、日本では初のクラシックカー公道走行イベントだった「六甲モンテミリア」について振り返ってもらいました。

従兄弟が持っていたMG TFで参加

最近クラシックカーのイベントが花盛りである。なかには古い歴史を持つイベントもあるが、バブル華やかりし頃のイベントは、出場するメンバーも開催する側の熱量も、それは凄いものだったように思う。

かつて関西で最大級のイベントだったのが、六甲モンテミリアである。後援をしていたのは神戸が地盤の百貨店、そごうだったという話を聞いたことがある、どこかで聞いた名前だと感じるだろうが、要はミッレミリアをもじって付けられた名称だと思う。初開催は1985年。初回こそ六甲ホテルが起点だったようだが、2回目からはポートアイランドを起点としたイベントとなり、この頃からスポンサーが付いたようである。

その六甲モンテミリア、当時はクラシックカーを公道で走らせるイベントがなかったそうで、これが初の公道走行イベントだったと言われる。そんなイベントに著者も参加した。クルマは従兄弟が持っていたMG「TF」である。自分ではてっきり1988年に参加したものと思っていたが、去る方のブログに我々のクルマが写っているのを見つけ、1987年の第3回大会であったことが判明した。

当時は仮ナンバーで走るクルマが多数散見された

2024年まで開催された、ラ・フェスタ・ミッレミリアが始まったのが1997年からだということだから、それよりも10年以上も前に始まったものだ。その当時、六甲モンテミリアを成功させた愛好家たちの熱意は相当なもので、とにかくいつ止まってもおかしくないようなクラシックカーを公道で走らせることなど、そもそも警察との折衝だって大変だったように思う。

今では絶対無理だが、当時は仮ナンバーで走るクルマが多数散見されていたのだから、時代が違うとはいえ、ずいぶんラフでもあった。余談ながら、2024年に開催されたラ・フェスタ・ミッレミリアの参加費用は、1台2名分で85万円。翻って1987年の六甲モンテミリアは、クルマとドライバー1名につき2万5000円。コ・ドライバー1名1万5000円である。まあ、物価が違うとはいえ、この値上がり感は普通じゃない。

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