第3回の六甲モンテミリアに参加
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。クラシックカーのイベントが盛んな昨今ですが、今回は、日本では初のクラシックカー公道走行イベントだった「六甲モンテミリア」について振り返ってもらいました。
従兄弟が持っていたMG TFで参加
最近クラシックカーのイベントが花盛りである。なかには古い歴史を持つイベントもあるが、バブル華やかりし頃のイベントは、出場するメンバーも開催する側の熱量も、それは凄いものだったように思う。
かつて関西で最大級のイベントだったのが、六甲モンテミリアである。後援をしていたのは神戸が地盤の百貨店、そごうだったという話を聞いたことがある、どこかで聞いた名前だと感じるだろうが、要はミッレミリアをもじって付けられた名称だと思う。初開催は1985年。初回こそ六甲ホテルが起点だったようだが、2回目からはポートアイランドを起点としたイベントとなり、この頃からスポンサーが付いたようである。
その六甲モンテミリア、当時はクラシックカーを公道で走らせるイベントがなかったそうで、これが初の公道走行イベントだったと言われる。そんなイベントに著者も参加した。クルマは従兄弟が持っていたMG「TF」である。自分ではてっきり1988年に参加したものと思っていたが、去る方のブログに我々のクルマが写っているのを見つけ、1987年の第3回大会であったことが判明した。
当時は仮ナンバーで走るクルマが多数散見された
2024年まで開催された、ラ・フェスタ・ミッレミリアが始まったのが1997年からだということだから、それよりも10年以上も前に始まったものだ。その当時、六甲モンテミリアを成功させた愛好家たちの熱意は相当なもので、とにかくいつ止まってもおかしくないようなクラシックカーを公道で走らせることなど、そもそも警察との折衝だって大変だったように思う。
今では絶対無理だが、当時は仮ナンバーで走るクルマが多数散見されていたのだから、時代が違うとはいえ、ずいぶんラフでもあった。余談ながら、2024年に開催されたラ・フェスタ・ミッレミリアの参加費用は、1台2名分で85万円。翻って1987年の六甲モンテミリアは、クルマとドライバー1名につき2万5000円。コ・ドライバー1名1万5000円である。まあ、物価が違うとはいえ、この値上がり感は普通じゃない。