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1972年公開『ヘアピン・サーカス』が期間限定で再上映!「ギャラは100万円でした」と主役・見崎清志がトークショーで大暴露

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TEXT: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)  PHOTO: 米澤 徹(YONEZAWA Toru)/AMW/TOYOTA

トムス舘会長が不良チーム役で出演

相手役の江夏夕子は、当時A級ライセンスを持つ本格派。現在は松方弘樹の弟にあたる俳優・目黒祐樹の妻である。彼女のドライビングテクニックはプロの見崎から見ても「うまかった」と評されていた。

一方、俳優陣の演技には戸惑いもあったようだ。

「大げさでわざとらしく感じた。でも、これが演劇の世界か、とも思った」

と当時を振り返る。演技指導もセリフの指導もなく、現場でいきなり「涙を流して」と求められても、「無理だ」と断ったというエピソードが印象的だ。

「今だったらもっと上手くやれたかもしれない。でも、当時はレースのほうが大事だった」

と語る見崎の言葉には、リアルと虚構の狭間で揺れた若き日の真情がにじむ。ちなみに見崎の演じた主役に絡む不良チームの二枚目のニヒルな役者は現トムスの会長、舘 信秀氏である。

劇中マシンはワークスマシンだった?

『ヘアピン・サーカス』の新聞広告には、こんなキャッチコピーが躍っていた。

「挑戦か愛か。魔のカーブに女は罠を仕掛けた」

直球かつ劇画的な響きが、当時の空気をよく伝えている。

ちなみに本作で使用されたトヨタ2000GTのボディパーツは、現在も新潟の愛好家の手元に残っているという。アルミ製の希少なレーシングカーで、本来は「存在してはならない」ワークス仕様だったのを大坪が管理していた。ボンドカーとして知られる2000GTも、世界に2台しかない。AUTO MESSE WEB編集部の調べでは、この劇中マシンはそのシャシーナンバーから、1967年鈴鹿1000kmに参戦したワークスマシンそのものではないかと推測する。

見崎自身、高校時代はモトクロスに熱中し、18歳で手に入れたクルマを改造してプロレーサーの道へと突き進んだ。『ヘアピン・サーカス』の島尾俊也(主人公:見崎清志)と同様、成績が悪ければすぐに消えていく世界で、彼は自らの道を切り拓いた。

* * *

封印された記憶が、再びスクリーンを駆けるとき、それは過去ではなくなる。

『ヘアピン・サーカス』は、時代の狭間に現れ、走り抜け、忘れ去られかけていた異端の疾走映画だ。またどこかの映画館で上映されることを楽しみに待ちたい。

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