念願のフェラーリ訪問、そしてアルボレートとの遭遇
じつはそれ以前に2度ほどフェラーリを訪れる機会があったのだが、いずれも不発に終わっている。まさに「3度目の正直」でようやくフェラーリに足を踏み入れることができた。
1987年、その年にフェラーリ本社を訪れた際、門をくぐるとすぐ右手に小さな事務所のような建物があり、そこには「156 F1」が展示されていた。奥には「288 GTO」も置かれていた。今となっては旧車だが、当時の筆者にとっては感慨深い光景だった。
工場の見学は、現在のように案内付きではなく、極めてアバウトだった。どこにでも自由に入ることができて、写真も自由に撮影できた。今なら撮影NGとなりそうな場所まで撮っている。工場内は意外にも整然としており、何よりも大規模だった。数年前に訪れたランボルギーニの工場がかなり貧弱だったため、その対比もあり、フェラーリの規模には心底驚かされた。
ただし、エンツォ・フェラーリの執務室の場所はわからず、もしかするとそもそも本社内にはなかったのかもしれない。じつはその執務室に入るチャンスは、フェラーリ初訪問となるはずだった「ロードスター」(少年画報社)の取材時にあった。ところが、何を思ったのか、私は忙しさを理由にそのイタリア出張を断ってしまった。結果として当時の編集長が代役として現地入りし、エンツォの不在中ではあったが、執務室に足を踏み入れている。
リストランテ・カバリーノでF1ドライバーに出会う
フェラーリ工場の入り口から道を挟んだ場所には、「リストランテ・カバリーノ」というフェラーリ御用達のレストランがある。1987年当時、我々取材班もそこでランチをいただいた。
そしてそのランチの最中、なんと当時のフェラーリF1ワークスドライバーだったミケーレ・アルボレートが店内に入ってきた。一瞬の出来事で、残念ながら写真には収められなかったが、その衝撃は今でも記憶に残っている。
レストランの隣、あるいは並びには、高価なお土産が所狭しと並ぶショップもあった。財布の中身がいくらあっても足りなそうな店だった。
当時工場で主に生産されていたのは「328」「テスタロッサ」「400i」である。そもそもフィアットの取材でイタリアに来たはずなのに、撮影した写真の枚数は明らかにフェラーリのほうが多かった。
残念ながら、その後フェラーリを再訪する機会はなかったが、あの1987年の訪問は、今も鮮烈な記憶として心に残っている。
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