生産台数わずか215台の限定車ランチア デルタHFエヴォ“ブルーラゴス”
愛知県知多半島の内海海岸で開催された「チッタ ミラマーレ」には、2000年までに生産された欧州車が集いました。そのなかでも注目を浴びたのが、わずか215台しか生産されなかった限定車ランチア「デルタHFインテグラーレ エヴォルツィオーネII ブルーラゴス」。オーナーのTAKAさんが語る、その特別な1台への想いを紹介します。
WRCグループAホモロゲモデルの役割を終えた後も進化を遂げた
ランチア デルタHFインテグラーレといえば、1980〜1990年代ヤングタイマー世代のスーパースター。この時代を席巻した「FIAグループA」ラリーカーの象徴的存在として、ホモロゲート用の量産ストラダーレ(ロードモデル)は、日本を含む世界のマーケットでカリスマ的な支持を受けてきた。
HFインテグラーレは、1992年シーズンの「世界ラリー選手権(WRC)」において、前人未到のマニュファクチャラーズタイトル6連覇を達成した後、グループAホモロゲートモデルとしての役割を終える。だが、翌1993年には燃料噴射システムをシーケンシャル化し、従来型「エヴォルツィオーネ」から5psアップの215psをマークした「エヴォルツィオーネII」へと進化を遂げる。
フィアット・グループ傘下で実質的な開発を担当したアバルト部門では、同部門の通例にしたがって「SE050」の開発コードNo.が与えられるとともに、「デルトーネ(Deltone:大きなデルタ)」と呼ばれたHFデルタ エヴォルツィオーネ。その最終進化形となったエヴォルツィオーネIIでは、「スピードライン(Speedline)」社製アロイホイールはエヴォルツィオーネIと同じ基本デザインながら15インチから16インチに大径化され、アピアランス上の迫力をさらに増していた。
このエヴォルツィオーネII時代は、1993年の「マルティーニ6」を皮切りに、「ジアッラ」や「コレッツィオーネ(仕向け地によっては“エディツィオーネ フィナーレ”)」など複数の限定バージョンが設定され、それぞれ現在の国際クラシックカー市場で非常に高い評価を受けているのは、本稿をご覧の皆さまもご存じのとおりだろう。
WRCマシンに憧れ2度目のデルタがHFインテグラーレがブルーラゴス
第1回「チッタ ミラマーレ」に現れたのは、そんな限定版インテグラーレのひとつ。1994年に215台のみが限定生産されたという「ブルーラゴス(Blu Lagos)」である。
スペイン語で「湖」を意味する「Lagos」の名のとおり、エクステリアは湖の水面を思わせる上品なメタリックブルーでペイントされ、クリームイエローのピンストライプをあしらう。インテリアもクリーム色のアルカンターラ+レザーのレカロ社製シートにより、外観のテーマを反復。一連の限定インテグラーレのなかでも、もっとも美しいという1台は、チッタ ミラマーレの会場でも明らかに輝いていたのだ。
まだ早い時間に会場入りしたおかげで、海に面した一等地に愛車を停めることのできたオーナーの「TAKA」さんは、この日パートナーとご一緒にエントリーされていた。
彼は若き日よりWRCに憧れ、そこで活躍していたラリーカーのファン。そしてイタリア車好きでもあったことから、かつては同じデルタHFインテグラーレでも、2世代前の「16V」をかなり長期間にわたって愛用していたとのこと。その後は諸般の事情により、いったんランチアから離れ、VWゴルフやサーブ9-3などを愛用していたものの、5年ほど前に限定モデルの「ブルーラゴス」が売りに出ているとの情報を聞きつけ、運命に惹きつけられるように入手したとのことである。
その情熱を証明するかのように、とても大切に維持されているようで、生産から30年以上を経過した現在でも、エクステリア/インテリアともに極上のコンディション。一見した限りながら、オリジナル性も素晴らしい。
ほかにもアルファ ロメオ「ブレラ」や、パートナー用のフィアット「500」を所有されているというTAKAさんながら、この美しきデルタHFインテグラーレ ブルーラゴスだけは、これから先も一生乗り続けてゆきたいとのことであった。
































































