クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • ジャガー好きが選んだ人生初の旧車がディムラー「SP250」!オーナーズクラブの重鎮との出会いから人生の楽しさが広がった
CLASSIC
share:

ジャガー好きが選んだ人生初の旧車がディムラー「SP250」!オーナーズクラブの重鎮との出会いから人生の楽しさが広がった

投稿日:

TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循(NAGAO Jun)

ジャガー好きが選んだ人生初のヒストリックカーがディムラー

そんな希少なディムラーSP250で今回のイベントに参加したのが、名古屋から自走でやってきた落合正人さんだ。

「昔からクルマが好きだったのですが、ずっと現代車に乗ってきたので、このSP250が人生初のヒストリックカーです。このイベントへの参加も初めてです」

初めてのヒストリックカーに、お世辞にもメジャーな人気車種とは言えないディムラーSP250を選んだ理由は何だったのだろうか。

じつは落合さんは、その前はジャガー「XE」の最終型や、さらにその前は「Xタイプ」に乗っていた。

「もしヒストリックカーを手に入れるなら、馴染み深いブランドであるジャガー「Eタイプ」を、と思っていました」

しかしジャガー「Eタイプ」は日本はもちろん世界的にも人気車種であるため、なかなか条件が揃う個体に出会えなかった。そんな時、愛知のショップで見かけたのが、このシルバーの1960年式ディムラーSP250だった。

「ディムラーといえばジャガーと同門なので、なるほどその選択肢もありだな、と」

こうしてSP250は、2024年8月に落合さんの元へやってきた。念願のヒストリックカー趣味生活が始まり、めでたしめでたし……というところだが、さらにここからが落合さんの熱心なところである。

SP250の購入が決まった際、落合さんはすぐにその情報をイギリス本国のディムラー・オーナーズクラブへ連絡した。すると会員のローレンスさんという方からすぐに返事が来た。ローレンスさんは

「君の手に入れた個体はフレーム番号から調べたところ1960年12月に生産されたモデルだ。ニュージーランドに輸出され、そこのディーラーを介してオーストラリアに渡り、その後は……」

と、個体の来歴を詳しく教えてくれた。

オーナーズクラブの重鎮との出会いからイベント参加へ

さらにローレンスさんは

「ディムラー・オーナーズクラブのメンバーはじつは日本にもいる。ミスター・オオクボという人物の連絡先を教えるから、彼に連絡してみるといい。彼も古くからのディムラー SP250オーナーだ」

と教えてくれた。

そこで落合さんはさっそく”ミスター・オオクボ”に連絡してみると、それは糸魚川クラシックカー・クラブの重鎮である大久保峰生さんだった。

「私がSP250を手に入れたことを話すと、大久保さんは『フォッサマグナミュージアムでイベントをやるので、ぜひいらっしゃい』とお声がけいただいて、それで今回このイベントに参加した次第です」と落合さん。

古いクルマを通じて広がる同好の士との新たな出会い。人生初のヒストリックカーを手に入れてからまだ間もない落合さんだが、今後は海外も含めてさまざまなイベントに積極的に参加するつもりだとのことだ。その素敵なヒストリックカー趣味人生は、いよいよこれからが本番である。

12
すべて表示
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
著者一覧 >

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS