クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 会社は消滅しまっても大人気?「サーブ博物館」が今も人を惹きつける奇才性【クルマ昔噺】
CLASSIC
share:

会社は消滅しまっても大人気?「サーブ博物館」が今も人を惹きつける奇才性【クルマ昔噺】

投稿日:

TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

カエルに見えるボディスタイルであっても燃費性能を最優先

ミュージアムのクルマを何台か紹介しよう。まずはUr Saabと呼ばれる、92のプロトタイプだ。Urはスウェーデン語でオリジナルを意味し、このモデルが最初のプロトタイプであったことを示している。このクルマは驚いたことに、その当時、まずボディありきで作られたようで、エンジンはDKWの2サイクルエンジン、燃料タンクはアウトウニオンのもの、その他のパーツも多くがスクラップヤードから拾い集められたもの。

2号車以降はオリジナルのサーブエンジンを搭載しているようだが、この1号車から3号車までのプロトタイプで、合わせて53万kmを走破するテストが行われたそうだ。こうして1949年に、サーブ92として世に出るのである。

余談ながら、このスタイルを見た首脳陣も、あまり良い顔をしなかったそうだが、開発トップのグンナー・ユングストロームは

「年間100Lの燃料を節約できるなら、たとえカエルのように見えても問題ない」

と、首脳陣を説き伏せた。

サーブ92はその発展形を数えると、1949年の92発表からV4を搭載した96に至るまで、30年以上にわたり、この「蛙に見えても構わない」スタイルのモデルを作り続けた。最後のV4エンジン搭載のサーブ96がラインオフしたのは、1980年1月8日である。ラリーでサーブに貢献したエリック・カールソンがドライブして工場を後にしたそうだ。

ちなみにこのクルマが作られたのは、フィンランドのヴァルメット工場だ。ここは後にメルセデスGLC、ポルシェ・ボクスターなどが作られた会社である。そのエリック・カールソンは、サーブ96を操ってモンテカルロラリーを2度制覇した。彼の奥さんは、あのスターリング・モスの妹、パット・モスである。

2基の2サイクルエンジン搭載車「モンスター」とソネットの誕生秘話

博物館のなかでひときわ異彩を放つのが、英語読みでモンスターと名付けられたクルマだ。93をベースに、軽量化のためにボンネットをプラスチックに変更し、不要なものを取り去ったボディに載せられたのは、既存の748cc2サイクル3気筒エンジンを“2基”搭載したものだ。間違っても6気筒ではない。あくまでも実験用に作られたクルマで、量産化を考えたかどうかは不明だが、パワーに対して全体のバランスが悪かったからか、コーナリングは困難であったようだ。それでもトップスピードは196km/hに達したという。

92から始まった連番の車両名は、94が事実上途切れる。理由はすでに94という番号を、航空機のコード番号として使っていたからということだ。デビュー当初94と名付けられたのは、オープン2シーターのモデルで、後にそれはソネットとして市場に投入される。最初のソネットはレース好きのエンジニア、ロルフ・メルデを中心とした小規模なメンバーで開発が始まった。最初の94を名乗ったソネットは、1956年に6台しか作られなかった。

92から99に至るサーブ車のデザインを担当したのは、シクステン・サソンという人物だ。そして彼の個人的プロジェクトとして始まったのが、カテリーナと呼ばれるモデルである。デザインだけ見れば後のソネット2との共通点が見いだせるが、そこに至るにはもう1台のモデルが存在する。

それがMFI13と呼ばれたモデルだ。MFIはMalmö Flygindustri(マルメ・フリク・インダストリ)の頭文字である。そして13は意味がないが、不吉な番号だから他が絶対に付けないということで選ばれた。ボディはスチール製だが、これは後にグラスファイバーボディを作る際の元型として使用できるようにされていたそうだ。つまり、これが後のソネット2の原型というわけである。

このようにサーブ博物館は、今も多くの人々を魅了する場所として、サーブファンに人気を博している。もちろん、スウェーデンの人ばかりでなく、訪問客は世界中からやってくる。

■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら

12
すべて表示
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
著者一覧 >

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS