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時間切れが生んだ傑作! ランボルギーニがトリノショーで発表したV12横置きシャシー「TP400」の衝撃【ミウラ伝説】

時間切れが生んだ傑作! ランボルギーニがトリノショーで発表したV12横置きシャシー「TP400」の衝撃【ミウラ伝説】

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TEXT: 山崎元裕(YAMAZAKI Motohiro)  PHOTO: Automobili Lamborghini S.p.A.

新進気鋭のガンディーニを大抜擢!
無限の才能と可能性にTP400を託す

その結果フェルッチオが決断したのは、彼自身が語ったところによれば、最後にブースへと姿を現したヌッチョ・ベルトーネ率いるカロッツェリア・ベルトーネにデザインを委ねることだった。フェルッチオのもとを訪れたカロッツェリアの代表的なところには、ピニンファリーナやツーリングなどの名前があったが、前者はフェラーリとの関係があまりにも密接であり、また後者は経営状態が相当に悪化していた。そのため、新型車のデザインを委ねることは不可能であると判断されたのだ。

一方で当時のベルトーネは、ジョルジョット・ジウジアーロから、マルチェロ・ガンディーニにチーフを交代させた直後だった。ガンディーニは、ダラーラやスタンツァーニ、あるいはウォレス氏といったTP400プロジェクトを進めた主要なメンバーと同年代の新進気鋭の存在だった。フェルッチオはこれまでベルトーネが残してきた実績と、ガンディーニが持つに違いない無限の才能と可能性にTP400の未来を託したのだ。

ミウラのデザインはジウジアーロ氏によるものなのか、それともガンディーニによるものなのか。この論争は長くスーパーカーのファンはもちろん、歴史家の間でも繰り返されてきた。だが、その流麗なスタイリングは確かにガンディーニによって描かれたものにほかならない。彼はTP400の発表からわずかな時間で最初のレンダリングを完成させると、ベルトーネは直後にそのデザイン・プロトタイプを製作した。

それに満足したフェルッチオは、プロジェクトの進行にゴーサインを出すと同時に、1966年のジュネーブ・ショーにこのプロトタイプを出品することを計画した。ただし、この段階ではまだ「ミウラ」というネーミングは掲げられていなかった。
フェルッチオはなぜそれをミウラと命名するに至ったのか。ミウラ誕生のストーリーは続く。

>>>過去のミウラ伝説を読む

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