大正時代建設の「旧岐阜県庁舎」を自動車ミュージアムに再生させる壮大プロジェクトが始動!
全国にアミューズメントフィットネスクラブを展開しているのがフィットイージー株式会社です。同社の代表であり、有数のクラシックカー・コレクターとしても知られる國江仙嗣氏が、大正時代に建設された「旧岐阜県庁舎」を自動車ミュージアムとして再生させる壮大なプロジェクトを始動させました。東南アジアで朽ち果てていたル・マン出場車の奇跡の復元エピソードから、2029年春にオープン予定の複合施設の全貌まで、その熱き情熱の軌跡をレポートします。
世界的に有数なレーシングカーコレクター國江氏のモータースポーツへの情熱と本格レース参戦の軌跡
全国にアミューズメントフィットネスクラブを展開するフィットイージー株式会社。同社は、トヨタ自動車のモータースポーツ部門であるトヨタ ガズー レーシング(TGR)の活動を支援している。開幕6連勝からの14戦中12戦で表彰台の頂点に立つ圧倒的な強さを見せた、2025年度のFIA世界ラリー選手権(WRC)での活躍は記憶に新しい。「FIT-EASY」のロゴをまとったトヨタ「GRヤリス」の勇姿を覚えている人も多いだろう。
その代表である國江仙嗣氏は、有数のクラシックカーおよびレーシングカーのコレクターとして知られた存在だ。2025年末にはシルエットフォーミュラ時代を象徴する「シュニッツァー セリカLBターボ」を日本へ里帰りさせるなど、日本にゆかりのあるクルマたちを積極的にコレクションしている。
國江氏のモータースポーツへの情熱は、高校生だった17歳の頃にさかのぼる。1967年式のフォルクスワーゲン「ビートル」を購入し、クルマの楽しさを知った。免許取得後は愛車をドラッグレース仕様に仕立て上げたという。
その後は同じ空冷エンジンのポルシェ「911T」でサーキットへ足を踏み入れる。長年にわたってさまざまなレースへ参戦し、愛車はアップデートを重ねた。国内唯一のJAF公認ヒストリックカーレースであるJCCA(日本クラシックカー協会)が主催するクラシックカーレースでは、最速クラスのFクラスで優勝を飾るなど、自身のドライビングスキルも磨いた。
「映画『栄光のル・マン』に憧れていましたので、ガルフカラーのポルシェでのレース参戦が夢でした」
その言葉どおり、情熱は現役のレースにも向けられた。自らガルフオイルのバックアップを取り付け、ポルシェクラブの仲間たちとGTアジアシリーズへポルシェ「911GT3」で参戦を始める。
そして2015年には、日本人チームとして初となるシリーズフル参戦を果たしただけでなく、GTMクラスのウイナーに輝いた。その結果はポルシェ本社にも認められ、翌年にはSUPER GT(旧・全日本GT選手権)のGT300クラスへチームオーナーとして参加するに至ったのだ。
東南アジアで朽ちた「トムス 童夢85C-L」をレストアし、ル・マンクラシックでクラス優勝果たす!
2018年にはガルフに続いてTAGホイヤーのスポンサーもついた。これによって自分自身のなかでの「栄光のル・マン」には一区切りがついたと國江氏は語る。本格的なレースに参戦するにあたり、所有していたビンテージカーは数台を残して手放していたが、再び好きな時代のクルマへと戻った。
現在のラインアップを見ると、コレクションのほとんどをロールケージが組まれたマシンが占めている。そのなかでも、コンペティションユースの日本車がまとうオーラには圧倒される。それもそのはず、メーカーが作った純然たるワークスカーが並んでいるのだ。
そのなかの1台に、数奇な運命をたどった名車がある。友人が東南アジアを旅行中に朽ち果てたレーシングカーを見つけ、「好きそうだから」と國江氏へ写真を送ってきた。それは紛れもなく、ル・マンへ参戦した「トムス 童夢85C-L」であった。
1985年のル・マン24時間レースにて、中嶋悟氏、関谷正徳氏、星野薫氏のドライブにより12位完走を果たした名車だ。しかしレース後は複数のオーナーを経て、東南アジアの工場脇で野ざらしになっていたのである。
國江氏はこの個体を日本へ持ち帰り、見事に復元させた。2022年のル・マン・クラシックでは、トムスの舘信秀氏が監督を務め、当時のドライバーである関谷正徳氏と、中嶋悟氏の子息である中嶋一貴氏のドライブによりクラス優勝を達成したことは記憶に新しい。
ほかにも、トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)の歴代WRC参戦車や、サザンクロスラリー優勝車の日産「スタンザ」といったラリーカー。さらにアメリカのIMSAを戦ったマシンなど、日本にゆかりのある名車たちを積極的に里帰りさせているのだ。
























































