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かつて地元で見かけていたトヨタTE27「レビン」のラリーマシンが愛車となって再会

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TEXT: 奥村純一(OKUMURA Junichi)  PHOTO: 奥村純一(OKUMURA Junichi)/沼田亨(NUMATA Toru)

  • コッパディ京都名誉顧問のレジェンドドライバー鮒子田寛さんと談笑する1972年式トヨタ・カローラ・レビンのオーナー國江仙嗣さん
  • トヨタ カローラ レビン:ステアリングはモモ、助手席の前にはハルダツインマスターなどの計測機器が備わっていた
  • トヨタ カローラ レビン:バケットシート、フルハーネス、ロールケージを備えた室内。リアのセンターにあるケージが当時らしい
  • トヨタ カローラ レビン:エンジンルームを覗くとマイルドスチール製の等長マニホールドがコンペティションムードを演出している
  • トヨタ カローラ レビン:コッパディ京都、碇高原を走行する國江さん組
  • トヨタ カローラ レビン:ラリー競技車両であるため、車高はこのようにリフトアップされている。ブロック状のラリータイヤのハンドリングも悪くないそうだ
  • トヨタ カローラ レビン:コッパディ京都、碇高原内でのPC競技を終えた國江さん
  • トヨタ カローラ レビン:リアスタイリングからも伝わるコンペティションな雰囲気
  • トヨタ カローラ レビン:コッパディ京都、スタート地点の京都府庁を出発した

歴史ある古都の景観と名車たち

京都の街並みを走るクラシックカーラリー「コッパディ京都」が開催されました。スタート地点の京都府庁には、約70台のヒストリックカーが集まりました。欧州車が中心となっているなかで注目を集めたのが、1972年式トヨタ「カローラ レビン」です。オーナーの國江仙嗣さんは、家族とともに初参加。若い頃に憧れていたラリーカーを丁寧に手入れしながら走らせ、日本車が築いたモータースポーツの歴史を体現していました。

モータースポーツとの縁は深いがクラシックカーラリーは初参加!

2008年から始まったクラシックカーラリー「コッパディ京都」は、南禅寺、東寺、下鴨神社、円山公園などを舞台に、名車たちとの調和を見せてきた。第5回大会では京都国立博物館の特別企画としてゴール後に参加車両の展示がされるなど、古都で開催されるクラシックカー展示イベントの先駆けとなった。

2016年からは京都府との共催となり、「海の京都」「山の京都」「森の京都」「お茶の京都」「竹の京都」といったテーマで京都の多彩な魅力を掘り下げ、今回で11回目の開催である。

日本中がインバウンドの観光客であふれかえっているが、京都北部でもその影響を受けている。宿泊地となる丹後半島にある宮津のホテルの収容人数が今年は大きく限定された。これにより、「コッパディ京都」の参加車両は例年より少ない70台のエントリーとなった。

スタート地点となる京都府庁の駐車場には、イタリア、イギリスを中心にドイツ、フランス、アメリカ、スウェーデンなど、年式もさまざまな名車たちが並んだ。そのような車両のなかで、日本車も存在感を示す。フロントグリルには大型の補助灯が配置され、真っ赤なボディカラーの車体は車高が高く、本格的なラリー車両の佇まいを見せるトヨタ カローラ レビンだ。そのオーナーは國江仙嗣さんである。

國江さんはクラシックカーラリーへの参加は初めてであり、今回は妻と息子の家族3人でのエントリーだ。かつては日本クラシックカー協会(JCCA)主催のJAF公認クラシックカーレースにドライバーとしてポルシェ「911」で参加し、勝利を重ねていた経歴を持つ。

仕事ではフィットネスクラブ事業の代表を務め、TOYOTA GAZOO Racingとのパートナーシップにより、WRCラリーへの参戦活動を応援している。モンテカルロラリーでも総合2位でフィニッシュするなど、「フィットイージー」のロゴが入ったGRヤリスの活躍をご存知のモーターファンもいるだろう。

憧れだった国内競技に参戦していたラリーカーとの再会

「このレビンは地元岐阜のIさんという1980年代には1000湖ラリーに出場されたり、現在も86レースを走っている方が、当時国内競技に出場していたラリーカーです」

当時、このレビンを時折街中でも見かけていたという國江さんにとって、その存在は憧れだったそうだ。

「現存していたのは嬉しかったです。時間が経っていたので、もうなくなったのかなと思ったこともありましたが、また岐阜に戻ってきてくれました」

Iさんがレース仲間に譲り、15年間別の地域のオーナーのもとにあったレビン。そのオーナーが手放すと言うことで、國江さんの元へやってきた。

「日本車が世界に通用する信頼性を得たのは、どのメーカーもラリーに出場し鍛えられたからである。完走することすら大変過酷な競技で、日本車が欧米に負けないクルマを作る礎を築いたのがモータースポーツだと思う。そうしたリスペクトもあるので、日本に縁のあるクルマは戻したいんです。このレビンは国内の競技車でしたが、同じ思いで地元にいてほしいと譲ってもらったのです」

海外にあったコンペティションユースの日本車を祖国日本へと戻すことにも積極的に活動中の國江さんにとって、TTE(トヨタ チーム ヨーロッパ)、ニッサンのワークスラリーカー、IMSA GTPマシンなどの里帰りの原点は、このレビンだったのかもしれない。

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