古き良き美風と最新技術の結晶! 最高の名跡を受け継いだ超弩級スーパーカー
毎年4月に千葉県の幕張メッセで開催される「オートモビルカウンシル2026」のテーマ展示では「Designed by ピニンファリーナ」が大きな注目を集めました。同イベントのアイコンとして展示された珠玉のモデルのなかから、ベルリネッタ黄金時代の最期を飾るフェラーリの傑作「288GTO」をピックアップ。名跡を受け継いだ超弩級スーパーカーの歴史と真価をご紹介します。
コンペティツィオーネの証! 最高の名跡GTOを受け継ぐもの
1962年に実戦投入された「250GTO」は、フェラーリが生んだ最高傑作のレーシングカーとして、長く語り継がれてきた。そのため、「レース出場のための型式認定」を意味する「GTO」という栄光の名を冠することは、フェラーリにとって特別な意味を持っていた。
この名跡が復活したのは、1980年代前半のことだ。当時、晩年を迎えていたエンツォ・フェラーリは、市販車たちが、本来フェラーリとしてあるべき「レース直系のセオリー」から外れていくことに危機感を抱いていた。 彼は部下たちに、最新テクノロジーを駆使しながらも、自らの理想を具現化した「究極のフラッグシップ・スーパーカー」の開発を命じた。
グループB参戦を見据えた新設計V8ツインターボで400馬力!!
当時のF1は、1.5リッター・ターボエンジンの全盛期だった。エンツォはこのF1マシンの勢いを新型車に反映させるべく、伝統の12気筒ではなく、あえてV8ツインターボのパワートレインを選択した。
エンジン(Tipo F114B)は、当時ランチアの耐久用レーシングカー「LC2」にも使われていた技術をベースに開発した2855ccのV8エンジンに2基のIHI製ターボを組み合わせ、400馬力を捻出。そのエンジンパフォーマンスから、最高速度は時速300kmを軽々と超え世界中を驚愕させた。
いっぽうシャシーは、すでに定評のあった「308GTB」用から発展したもの。ホイールベースを延長した鋼管スペースフレームに、レオナルド・フィオラヴァンティが率いるピニンファリーナのチームがデザイン、スカリエッティが架装したボディが組み合わされることになった。ボディにはカーボンやケブラーといった複合素材(コンポジット)を多用することで、徹底した軽量化を図った。
これらの結果、フェラーリ 288GTOはエンツォが思い描いた通り、この時代における純レーシングカーに限りなく近い「超弩級スーパーカー」として開発されることになった。
幻となったグループB世界選手権! それでも色褪せない圧倒的存在感とその先の未来
このマシンが誕生した背景には、当時の競技規定「グループB」の存在があった。レースへのホモロゲーション(公認)を得るため、フェラーリは規定の200台を上回る272台を生産した。
しかし、歴史の皮肉が彼らを待ち受けていた。他メーカーの不参加やラリー界の4WD化やWRCでの事故多発などによって、グループB規定に参戦し288GTOが輝くはずだったレースの舞台は、実戦投入を前に消滅してしまった。ちなみに288GTOのライバルとして開発されたマシンは、ポルシェ959(のちに961としてル・マン参戦)、ジャガーXJ220(V12気筒4WDで企画されたがV6ツインターボMR)、BMW M1など、仮に「グループBレース世界選手権」が実現されていたとするとさぞ盛り上がったと想像できる。
それでも、288GTOの価値が揺らぐことはなかった。開発責任者のニコラ・マテラッツィが「このモデルこそが、本物のフェラーリの復活だった」と語る通り、そのアグレッシブな美しさと性能は、世界中に強烈なインパクトを与えるに充分だった。
そして、この「行き場を失った最強のメカニズム」は、さらなる進化版である「288GTOエボルツィオーネ」を経て、のちの不朽の名車「F40」へと結実していくことになるのだ。













































