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「ディーノ」はフェラーリにあらず!? フィアットやリトラクタブルライトもあった「ディーノの系譜」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

F2エンジンを生み出すために生まれたディーノ206GT

 ディーノ206GTのメカニズムを語るうえで、まずはそのポイントである2L V6の“ディーノ・エンジン”について紹介しておきましょう。ディーノ206GTに搭載されていた“ディーノ・エンジン”は排気量が1987cc(ボア×ストローク=86.0mmφ×57.0mm)で、最高出力が180psでした。

 なお、フィアット版のディーノはスパイダー/クーペともに160psと20ps低いチューニングとなっています。またこれをベースに1967年にレース出場したF2エンジン=ディーノ166F2はストロークを短くして排気量は1596cc(ボア×ストローク=86.0mmφ×45.8mm)で、最高出力は200psです。

 同時期の主流派となった1.6L直4のフォード・コスワースFVAが220ps前後とされていましたから、V8のコスワースDFVに対してフェラーリはV12のハイパフォーマンスエンジンで挑んでいたF1とは勝手が違う印象があります。そんなレースフィールドでの事情はともかく、ロードカーとしてのディーノ206GTのメカニズム解説を続けましょう。

 フェラーリは、それまでのロードカーではフロントエンジンを基本レイアウトとしてきました。これはV12エンジンを搭載するという基本路線からはある意味納得できるところでしたが、1964年には市販モデルとしては初のミッドシップレイアウトを採用した250LMをリリースしています。

 ただしこれはGTカーとしてのホモロゲーション(車両公認)を獲得する目的があり、クルマ自体もロードカーというよりは純レーシングカーに近いものでした。その250LMに続いて1967年に登場した206GTこそが、フェラーリの量販モデルとして初のミッドシップマウントを採用したモデルとなりました。

 市販モデルが登場するまでには何度も、そして何種類ものプロトタイプが登場しています。最初に登場したのは65年のパリサロンでしたが、これはアクリルのカバーで4灯の丸型ヘッドライトを一体式のアクリルカバーで覆ったフロントビューが大きな特徴となりました。

 何よりもミッドシップに置かれたエンジンが縦置き式とされたことが、のちに登場する市販モデルとは最大の相違点となっていました。これはこのプロトタイプがレーシングスポーツカーのディーノ206Sをベースに開発されたからで、市販モデルでは横置きにコンバートされていました。

 ただしV6エンジンの短い全長が影響したか、横置きにコンバートしてもホイールベースは2280mmのままでした。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式で、ブレーキは前後ともにディスク式。ボディサイズは全長×全幅×全高が4150mm×1700mm×1115mm。大きく見えても、十分にコンパクトに仕上がっています。

 ボディデザインを手掛けたのはピニンファリーナで、直接的にはアルド・ブロヴァローネとレオナルド・フィオラヴァンティによる共作。ボディのコーチビルダーとしてはカロッツェリア・スカリエッティが担当していました。

 1967年から1969年にかけて152台が生産された206GTは、1969年には後継の246GTにバトンを渡しています。これはF2用エンジンのホモロゲーションが成立した時点で2Lの排気量や、軽量だがコストの嵩むアルミブロックにこだわる必要がなくなるというエンジンサイドの状況変化が最大の要因でした。ボディサイドでもフレームに架装するボディをアルミニウム製からスチール製に交換するとともに、ホイールベースも60mm延長されています。

 エンジンは、バンク角65度のV6は不変でしたが排気量を2418cc(ボア×ストローク=92.5mmφ×60.0mm)と拡大し最高出力も195psに引き上げられていました。246GTに加えてオープンモデルの246GTS(Sはスパイダー)も登場するなど“スモール・フェラーリ”として人気を確立。1974年に生産を終了するまで5年間で3569台が生産されていました。

 その後継として登場したのがディーノ308GT4で、名前からも分かるように3LのV8エンジンを搭載した4座クーペでした。ちなみにイタリア国内では税制で有利となる2L V8を搭載した208GT4が追加投入され、またディーノの名がフェラーリに改名される変化もありました。

 エンジンがV6からV8に載せ替えられた以上に大きな変貌となったのが、2座から4座へのコンバートでした。これはライバルだったランボルギーニのV8を搭載したウラッコや、マセラティのV6を搭載したメラクなどに対抗しての策で、デザインも206や246の丸みを帯びたデザインから、直線的で角張ったデザインにイメージを一新していました。

 こちらのデザインを手掛けたのはベルトーネで、当時チーフデザイナーとなっていたマルチェロ・ガンディーニが担当。ただしボディのコーチビルドは引き続きカロッツェリア・スカリエッティが担当しています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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