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「ダブルバブル」になった本当の理由は? 50年代レースを席巻したアバルト「750GTザガート」伝説を振り返る

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 横澤靖宏

「ルーズベルトもの」と呼ばれる北米市場向けのダブルバブル

こうして着実に成功を収めはじめていたアバルト750GTザガート製ベルリネッタは、1958年には当時のフィアット会長、ヴィットリオ・ヴァレッタとの間で「フィアット・アバルト」名義でエントリーしたレースで優勝した際にはフィアット本社から報奨金が出る特約が締結されたことから、「フィアット・アバルト750GT」という正式車名とともに、アバルトの主力モデルとしてさらなるヒットを博すことになる。肝心のモータースポーツでも、1957年のミッレ・ミリアで小排気量GTクラス優勝を獲得するなどの大活躍を見せることになった。

そして、イタリア本国やドイツなどのヨーロッパはもちろん、アジアや中南米にも輸出されたのだが、なかでも生産台数の6割以上を占める最重要マーケットとなったのが、合衆国元大統領フランクリン・D.ルーズベルトの第3子、フランクリン・D・ルーズベルト・ジュニアが総代理権を有していたアメリカである。

今回の取材のため、アバルトの愛好家として知られる福田能文さんからご協力いただいた750GTザガートも、新車時に大西洋を渡ってアメリカ合衆国にデリバリーされたことが判明しており、おそらくは「ルーズベルトもの」の1台と目されている。

今から約12年前、この個体が北米で売り出ているのを知った福田さんは、思い切って輸入。お気に入りという「ダブルバブル」の強烈な個性を湛えたスタイリング、そして「モノアルベロ(シングルカム、この場合はOHV)」ユニットのエキゾーストノートを、心ゆくまで楽しんでいるという。

ところで、同じカロッツェリア・ザガートがボディワークを担当するスパイダーや、カロッツェリア・アレマーノ製のスパイダー、あるいはジョヴァンニ・ミケロッティのデザイン/カロッツェリア・ヴィニャーレ製作の超未来的なベルリネッタ「ゴッチア」など、じつに多彩なバリエーションモデルが、それぞれ少数のみ製作されるなど、750GTシリーズは1950年代末のアバルトのイメージリーダーとしても活躍。1960年代にコルソ・マルケが迎える黄金時代にとっても、単なる「プロローグ」という以上の存在となったのである。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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