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【高級セダンからスポーツカーまで】メルセデス・ベンツの歴代エポックメイキングな車種を全部お教えします!

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: メルセデス・ベンツAG/メルセデス・ベンツミュージアム/妻谷コレクション

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メルセデス・ベンツはつねに最先端技術をいち早く市販車へ投入

メルセデス・ベンツは2023年、自動車の発明メーカーとして1886年創業以来137年となり、さらなる発展を遂げている。AMWでは「メルセデス・ベンツの年輪」と題し、「メルセデス・ベンツの歴史」、「メルセデス・ベンツグループ社の概要」、「メルセデス・ベンツのレーシングカー」、「メルセデス・ベンツのプロダクションモデル」、「メルセデス・ベンツの車造りと安全性」に分けて紹介。今回は筆者の好みと独断で選んだ、1930年代から1950年代の主なプロダクションモデルを紹介する。

1930年代の170シリーズ/260D

まず、1930年代のプロダクションカーに触れておく必要がある。1934年にサスペンションの神様と言われたドクター・ハンス・ニーベルが「170V」と「170H」、それに「130H」シリーズを開発した。

170VはFRでサイドバルブの直4を前横置きリーフスプリングの後ろに載せ、リアに左右各2本コイルのスイングアクスルを持った全輪独立という進んだ設計を採用。4ドア、2ドアの他、カブリオレAおよびB、それにスペシャル・ロードスターも造られた。

170H、130HのHはドイツ語「Heckmotor(ヘックモトール)」の頭文字でリアエンジンの意味。このレイアウトは、やはり後のVWやポルシェ的で、ポルシェ博士の最後の作品のひとつと言われている。シリーズの中には「150H」というミッドシップのスポーツロードスターも何台か造られた。

1936年には注目の「260D」が登場している。乗用車としては初のディーゼルエンジン搭載モデルで、2.6L直4 OHVは45ps、ホイールベース3050mm、6ライトのリムジンと4ドアセダンが生産されている。

その後第2次世界大戦などがあり1945年に終戦となったが、他産業同様ダイムラー・ベンツ社の工場はその約80%を破壊された。ダイムラー・ベンツ社は、1947年になってようやく戦前に造られた経済車170から量産を再開した。この170シリーズは改良を重ね、1953年8月まで生産が続けられた。

1930年に本格的なリムジンの構想が実現したグロッサー・メルセデス

リムジンとは、ドイツではセダンのことを呼ぶが、この年代で本格的なリムジン構想が実現された。それはあまりにも有名な「グロッサー・メルセデス」である。まさにドイツのロールス・ロイスと呼ぶにふさわしいモデルで、世界中の元首や上流社会のために造られた超豪華大型リムジンだ。

グロッサー・メルセデスは1930年に「770K」のコードナンバーで生まれ、7.7L直8エンジンはボア95mm×ストローク135mm、自社製ダブルチョーク・キャブレターとコンプレッサーの組み合わせで、150ps/200ps(オプションのスーパーチャージャー作動時)という出力を誇る。ホイールベースは3750mm、2.5t以上のボディを160km/hのスピードで引っ張る。

日本の昭和天皇御料車として770が7台輸入された。1932年型が3台と35年型が4台で、しかもスリーポインテッドスターの代わりに16花弁の菊の御紋が横向きにつけられている。グリルセンターの御紋はメルセデス・ベンツのマスクに合わせて中央で折り曲げられ、またリアドア両側にも菊の御紋が取り付けられた。

ボディカラーはいうまでもなくロイヤル・マルーンの溜め色で、トップとフェンダーは黒色に塗装。リアコンパートメントの内装は、宮内省(現:宮内庁)支給の西陣織で仕上げられている。

現在1935年型の1台はメルセデス・ベンツミュージアムに飾られている。だが、この16花弁の菊の御紋は天皇家の御紋で門外不出のため、メルセデス・ベンツミュージアムに展示されている昭和天皇の御料車はラジエターグリルがスリーポインテッドスターに変えられ、またリアドアの菊の御紋は15花弁になっている。同ミュージアムでは敬意を表して、旧ドイツ帝国最後の皇帝ヴィルヘルム2世の1932年のプルマン・カブリオレFと並べて飾られている。

770Kはヒトラーの愛用車としても有名。彼が愛用したのは1938年後期型、リアアクスルがコイルのスイングアクスルになり、ボディもモダン化されたジンデルフィンゲン工場コーチワークで、直8、ボア95mm×ストローク135mm、7655ccエンジンを搭載する。もちろん、ヒトラーのものは完全な防弾装備である。

この年代にはプルマン・リムジンの他、カブリオレF(最大のパレード用)、そしてカブリオレDなどが注文生産された。他の顧客名簿には著名なメンバーが名を連ねていた。例えば、ドイツのヒンデンブルク大統領、スウェーデン王グスタフ5世、エジプトのファルーク王、ブルガリアのツァー・ボリス、ユーゴのパウル摂政宮、それに作曲家のリヒァルト・シュトラウスなどが770Kを愛した。

1930年代に華を添えたモデル500K/540K

もうひとつ、1930年代のメルセデス・ベンツプロダクションモデルに華を添えたモデル「500K/540K」を忘れることはできない。1920年代、かつてポルシェの時代のダイムラー・ベンツ社は、SSのシャシーを提供してキャスターナ、ファリーナ、ソーチックなどの有名コーチワーカーにボディを架装させて世界中の富豪の要望に応えたが、500K/540Kはまさに1930年代、メルセデス・ベンツ・ビンテージの代表作である。

500K

自社ジンデルフィンゲン工場の特別のラインでコーチワークを施し、クーペ4〜5座、ロードスター、カブリオレ、そしてスペシャル・ロードスターなど約8種も好みのボディを選べた。とくにそのダイナミックなフェンダーラインは、何物にも例えようもない。まさにビンテージ・エイジの芸術品であった。

厚い鉄板を手でなだめながら形造る手法は神業と言われ、真からクラフトマンシップに徹するメーカーでなければこれだけの作品を全部自社製でまとめることは不可能であったろう。

500Kは5.0L直8 OHV、ルーツのスーパーチャージャー付きで100ps/160ps、最高速は160km/hを発揮する。一方、540Kは5.4L直8 OHV、ルーツのスーパーチャージャー付きで115ps/180ps、最高速は170km/h。全輪コイルの独立(後4本)の独立懸架と、重い車重により乗り心地とロードホールディングはとくに優れ、今日でもクラシックカーマニアの憧れの的になっていることは言うまでもない。

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