自らサーキットを走らせてユーザー目線で開発
「最初、ハチロクでサーキットを走ろうと考えたときに、どこのステージにしようかといろいろ考えたんですね、富士スピードウェイとかも含めて。そこで出した答えが、筑波サーキットだったんです。われわれの業界はやっぱり筑波だろうということで。
ちょうど車高調の販売をはじめたころだったので、ハチロクにも装着して筑波を走りました。ただ、タイムを出すためだけにセッティングはしていません。タイムを狙うのならハイグリップのタイヤを履いて、バネレートも高くして……ということになるんでしょうけど、これでストリートを走ると当然かたすぎて走りづらくなっちゃう。だから、その辺はユーザーがどのあたりを求めているのかを考えながらバランスを取るようにしてます。
実際ストリートとサーキットで使うパーツを、うまくどちらにもマッチさせるのは難しいんですよ。速さを突き詰めていくと、普段乗りには扱いにくくなるので、僕らはどの辺で止めるのか、バランスをとるのかが問われるんだと思います。
結局、コンセプトはストリートにあって、実際にレースでコンマ幾つを削ることではないんですね。僕もストリートを走りますので、僕くらいの評価がちょうどユーザーに寄り添っているのかもしれませんね」
エントリーユーザーに向けた製品開発
2006年に38歳で社長となった山口氏。製品づくりでこだわっていることとは?
「世の中もクルマも変わってきましたよね、実際。むかしは音量が大きいマフラーが求められていたのに、法律だけでなく人の意識も変わってきました。われわれもそうした時代に合わせてユーザーに受け入れられるものを作らないと、いくらわれわれがいいんだといっても、それは受け入れられないですよね。
たとえば、ひとむかし前はマニアな人が付けるのが車高調だったんですね。そうでない人は純正形状をつけるとか。それをエントリーユーザー向けに受け入れられるようにしようと製品化したのがわれわれなんです。
でも、今から10数年前に車高調を発売した時には最後発だったんですね。それ以前にも車高調を販売してはいましたが、ブリッツが現在の体制になってから、コンセプトをストリートにしたんです。要するにやり直しだったんです。当時は他社さんはハイエンドな製品をラインアップなさってたんですが、ブリッツはそことは違うコンセプトで車高調を作り直したんです。
他社さんと異なるコンセプトの車高調とはいえ、ブリッツは、NAPACのなかのASEAとJASMAに加盟しています。車高調だとASEAということになるんですけれども、同業者の方たちや周辺の会社を含めて製品を作る際の進むべき方向は同じなんですね。だからASEAに加盟しているメーカーさんがつくるハイエンドな車高調と同じく、ASEAのみなさんと協力して安心・安全な車高調、ひいては製品の流通を目指しています」
「ブリッツだから」という固定観点を捨て、スタッフの能力を重んじる
創業者ではないので自分ひとりでなんでも決めていくタイプではありませんと謙遜しつつ、山口氏は次のように現状のブリッツについて分析してくれた。
「各々、能力のある社員なので、その人たちの個性を重んじましょうというのは、先代の社長から引き継いでます。なので、権限をスタッフに徐々に委譲してその範囲の中で思い切りやってもらっています。現場には、あんまり踏み込んでは行かないようにはしてます。
レーダー探知機もいろんな企画の中で、こういうのをやったら面白いんじゃないかと意見があがって、『ブリッツだからこうだ』みたいな固定観念は外していってもいいんじゃないかということで製品化しました」
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社長に就任したのが38歳。それから10年くらいは忙しかったと振り返る山口氏。代表取締役という肩書にはなっていても、社長としてやっていけると自信がつくまでには、10年ぐらいかかったという。その間はクルマの趣味はまったくやる余裕がなかった。
ちょうど86が登場したのが、社長としての自信もついてきた頃。筑波サーキットを走るようになってから、モータースポーツライセンスも取得した。それからJAF戦に出てみようということになって、あくまでもプライベートでロードスターのパーティレースに参戦しているという。若い頃にやっていたレーシングカートも復活したそうだ。
いままさに、プライベートでのクルマ趣味も充実している山口氏。ひとりのカーガイとしての意見がフィードバックされた新製品の登場が、楽しみではないか。