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伝説の60年代レースで無敵のアバルト「1000ビアルベロGT」は日本に正規輸入されていた! 神の領域のドライブフィールとは【旧車ソムリエ】

伝説の60年代レースで無敵のアバルト「1000ビアルベロGT」は日本に正規輸入されていた! 神の領域のドライブフィールとは【旧車ソムリエ】

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 宮門秀行 協力:CLUB ABARTH GIAPPONE

  • 1963年式 フィアット アバルト1000ビアルベロGT
  • FIAスポーツカー耐久選手権のGTカテゴリーに1000cc以下クラスが成立したことから、1962年に誕生したのが、1000ビアルベロGTだった
  • アルミボディは、アバルトとザガートに確執が生じたことから、「ベッカリス」社を経て「シボーナ・エ・バサーノ」社に委ねられた
  • 1000ビアルベロGTは、デビューシーズンの1962年からコンストラクターズ部門年間タイトルを獲得
  • 新たにロングノーズに改められた翌1963年シーズンにもワールドタイトルを連覇
  • FIAレギュレーションの最小排気量クラスが1300cc以下に引き上げられるまで、小排気量GTカテゴリーでは無敵の存在として君臨した
  • ホイールはカンパニョーロ製のマグネシウム合金
  • フロントフード内には大きな燃料タンク
  • テールエンドはダックテールスタイル
  • リアエンドに搭載される直列4気筒982ccのDOHCエンジン
  • ボディ下部に覗くオイルパンにもABARTHの刻印
  • 簡素な美しさが横溢するコックピット
  • ドライバーの正面にはイエーガー製の回転計
  • 左側には水温計と油温計
  • 右側に小さな速度計が備わる
  • クラッチは少々不安感を覚えてしまうほどに軽いのだが、つながりはナチュラルで扱いにくさはみじんもない
  • ザガート・スタイルのバケットシート
  • 車名の語源であるDOHCヘッドを開発したのは伝説のエンジニア、ジョアッキーノ・コロンボ
  • 乗り味は、意外にもTCRよりはかなりフレンドリーだった
  • 当時、アバルトの日本総代理店権を有していた「山田輪盛館(通称ヤマリン)」がアバルト本社から新車として日本に上陸させた、正規ディーラー車である
  • 1965年7月に船橋サーキットで開催された「第1回全日本自動車クラブ選手権レース大会(通称CCCレース)」に、ゼッケン31番をつけて立原義次のドライブによって出場したヒストリーを持つ個体

1963年式 フィアット アバルト1000ビアルベロGT

「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回の主役は、1960年代初頭のFIA世界スポーツカー耐久選手権GTカテゴリー小排気量クラスを制覇した伝説のレーシングGTにして、その美しさでも今なお世界中のエンスージアストを魅了する「フィアット アバルト1000ビアルベロGT」。しかも、日本のレース創成期に歴史を刻んだ、記念碑的な1台を体感することができた。

GTカテゴリー小排気量クラス無敵の王者とは

イタリアの国民車、「フィアット600」のフロアパンとサスペンションを流用し、カロッツェリアによる特装ボディを組み合わせたレーシングGTモデルは、当初フィアット用を高度にチューンした4気筒OHVエンジンを搭載したが、1958年に登場した「750レコルドモンツァ」を皮切りに、自社設計によるDOHCヘッドつき直4エンジンを搭載した「ビアルベロ」が投入された。

ビアルベロとは、2本の木の棒のこと。転じて、2本のカムシャフトを持つDOHCを指す。カルロ・アバルトから要請を受け、車名の語源であるDOHCヘッドを開発したのは、アルファ ロメオ「ティーポ158アルフェッタ」や、フェラーリ初のV型12気筒エンジンの設計者。二輪車の分野でも「MVアグスタ」の並列4気筒DOHCエンジンを開発した、イタリア自動車史に輝く伝説のインジェニェーレ(エンジニア)、ジョアッキーノ・コロンボである。

1958年、まずは750cc版からデビューしたレコルドモンツァ・ビアルベロは、850cc版や1000cc版なども用意され、それぞれGT/スポーツカーレースで大活躍。さらに1960年代初頭になると、FIAスポーツカー耐久選手権のGTカテゴリーに1000cc以下クラスが成立したことから、アバルトではそれまで国内戦やヒルクライムを戦っていた750~1000レコルドモンツァ・ビアルベロに、大幅な改良を加えたニューマシンを開発。その成果として1962年に誕生したのが、1000ビアルベロGTだった。

1000ビアルベロGTのリアエンドに搭載される直列4気筒982ccのDOHCエンジンは、2本のカムシャフトの間から吸気する珍しいレイアウトこそ、それまでのレコルドモンツァ用ビアルベロと不変ながら、チューニングは格段に高められていた。

また、レコルドモンツァ時代にはザガート社製だったアルミボディは、アバルトとザガートに確執が生じた(どうやら1000レコルドモンツァの支払いについて……?)ことから、「ベッカリス」社を経て「シボーナ・エ・バサーノ」社に委ねられた。

こうして誕生した1000ビアルベロGTは、デビューシーズンの1962年からコンストラクターズ部門年間タイトルを獲得。新たにロングノーズに改められた翌1963年シーズンにもワールドタイトルを連覇し、FIAレギュレーションの最小排気量クラスが1300cc以下に引き上げられるまで、小排気量GTカテゴリーでは無敵の存在として君臨したのだ。

船橋サーキットを独走したヒストリーの持ち主

ところで、シボーナ・エ・バサーノ製のアルミボディを持つフィアット アバルト1000ビアルベロGTは、当初は短めのノーズにナローなリアフェンダーがデフォルトとされていたが、そののちル・マンやモンツァなど高速サーキットでの最高速を稼ぐためにロングノーズ化され、リアトレッドの拡幅を可能とするためにオーバーフェンダーも設けられた。

今回、ステアリングを握るチャンスを得たフィアット アバルト1000ビアルベロGTは、初期バージョンにあたるショートノーズ版で、リアフェンダーもスリークなナロータイプ。そして当時、アバルトの日本総代理店権を有していた「山田輪盛館(通称ヤマリン)」が、トリノ・コルソ・マルケ38番地のアバルト本社から新車として日本に上陸させた、なんと正規ディーラー車である。

しかも1965年7月に船橋サーキットで開催された「第1回全日本自動車クラブ選手権レース大会(通称CCCレース)」に、ゼッケン31番をつけたこの個体は、立原義次のドライブによって出場。スタートから17周目までトップを独走しつつも、エンジントラブルでリタイヤしてしまった……、というレーシングヒストリーも持つ。

ちなみに立原選手のリタイヤ後に、ホンダ「S600」を駆ってトヨタ「スポーツ800」勢と熾烈なバトルを繰り広げた末に優勝を遂げたのが、夭折の天才として知られる浮谷東二郎だった。

それでも、この時のアバルト・ビアルベロGTと立原選手の活躍こそが、まだ創成期にあった日本のカーマニアにも大きなインパクトを残し、アバルトという日本では未知のブランドに情熱を持つ、熱心なファンを生み出すことになったといわれている。この個体は、日本におけるアバルトの歴史において、きわめて重要な個体ということなのだ。

船橋CCCレース以後は、さる老舗製薬会社の当主が長年所蔵したのち、国内のアバルト愛好家の間で敬愛を集めていた故F氏が、新車時にヤマリンで遭遇して以来の憧れをかなえるかたちで、20年ほど前に入手。そして近年、F氏が逝去されたことに伴って、現オーナーである日本アバルト界の重鎮、Mさんのもとへと譲渡されてくることになった。

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