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32年乗るいすゞ「フローリアン」はサンコイチで復活! 学生時代から合計4台を買って愛し続ける理由とは

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TEXT: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)  PHOTO: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)

  • ボディカラーが黒で、各部がノーマルであるところがお気に入りのポイント
  • 学生時代に背の高さと、ごついフロントグリルが気に入ってフローリアンをチョイス
  • 往時のコンベンショナルなファミリーカーで、ディテールもノスタルジック
  • 1982年式のいすゞ フローリアンS IIで、1991年から愛用している
  • 最初に買ったのはディーゼルだったが、2台目はガソリンを選んだ。現在の走行距離は15万km
  • フローリアンは、モデルチェンジすることなく1967年から1982年まで生産された
  • ベレットよりも上級に位置するクルマとして、保守層のオーナーを中心に人気を博した
  • 走るシーラカンスを普段使いしているそうで、今後、温泉旅行に行きたいそうだ
  • オーナーの宮下さんは、部品取り車までを含めるとフローリアンを4台も買ってしまった
  • 事故での廃車寸前から復活した1982年式いすゞ フローリアンS II

トダクラシックカー同窓会に参加していたオーナーに直撃

埼玉県戸田市の道満グリーンパークで2023年11月23日に開催された「トダクラシックカー同窓会」はこれで2回目。その名の通り、初めて出会ったオーナー同士でも気軽に交流できる雰囲気となっていて、等身大で楽しめるイベントでした。マニアックなモデルで参加するオーナーも多く、他のイベントでは見かける機会が少ないクルマや仕様をチョイスしてオーナーに話を聞いてきました。まずは、いすゞ「フローリアン」です。

最初のフローリアンは「日本一安くクルマを売る店」でゲット

「スバル レックス550に乗っていたのですが、ある夜に発生した単独事故によって廃車になってしまいました。それで新しいクルマを探すことになり、気になったのがいすゞ フローリアンでした。学生時代の話です」

そのように話してくれた宮下善成さん(59歳)によると、周囲の人たちから「もはや化石のようなクルマだ!」と言われてしまったそうだが、何気なくめくっていた中古車情報誌でフローリアンの売り物を発見。翌日にスクーターで2時間近く走り、「日本一安くクルマを売る店!」というキャッチコピーを掲げているショップまで見に行って、店頭に10台あるフローリアンの中からこれだ、と思った1台を買ってしまったのだという。

「全塗装してくれるというので黒でオーダーし、諸経費込みで40万円でした。就職が決まり、博多から東京に行くことになりましたが、駐車場を確保するのが難しかったので、とりあえず和歌山の祖父の家に預けました。やっとフローリアンを東京に持ってくることができたときには、1年という年月が経っていました」

ディーゼルエンジン仕様だったというフローリアンは、同郷の友だちが善意で勝手に持ち去り、博多でツートーンカラーにされてしまったり、いろんなことがあったとのこと。東京に持ってきて6年ほど経過したときに残念ながら老衰で廃車にするべき、という診断が車検で持ち込んだ工場にて下され、ここで再び宮下さんの愛車探しの旅がスタートした。

2台目は「頑固おやじの店」で購入

「1991年に旧車雑誌を見ていたら、今度は『頑固おやじの店!』というキャッチコピーを掲げているショップに70万円のフローリアンがあったので、ディーゼルエンジン仕様のフローリアンに乗って70万円のフローリアンを買いに行きました。フローリアンに乗ってくるとは殊勝なヤツだ! ということで値引きしてくれるかと思ったら頑固おやじには通用せず、定価で買うことになりましたが、少々高く下取りしてくれました」

このとき、頑固おやじから「君のフローリアンは教習車落ちだから、あんまり値段をつけられんのだがなぁ~」と言われたとのこと。売る間際になってようやく、店頭で10台販売、全塗装してくれた、少し出っ張ったバンパーのゴムがある、なぜか運転席でフットライトが点灯する、といった愛車の謎が解けたそうだ。

晴れて2台目のフローリアン(1982年式のS IIでガソリンエンジン仕様)を購入することができたのだが、2000年10月に突然不幸がやってきた。出先の長野で事故に遭ってしまい、愛車のフロントが瀕死状態になってしまったのだ。ここで宮下さんはあきらめなかったので今回取材できたわけだが、やはり、復活までの道のりは厳しいものになったらしい。

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