プジョーは翌年に向けたテストを現場で行っていた!
じつは、ル・マン24時間のレース見学はジャガーのイベントではなかった。ル・マンに到着した我々をサポートしてくれたのは、プジョーである。この年、プジョーは2台の「905」と呼ばれたマシンを持ち込んだが、このクルマはカテゴリー1という、翌年から主役となるレギュレーションに合わせたクルマで、この年は言わばテスト走行のようなもの。このC1カテゴリーではブッチギリに速かったものの、招待したジャーナリストを前に、当時の広報が次のように話していた。
「恐らく3時間ぐらいしか持たないから、我々がリタイアした後は自由に他を取材してもらって結構……」
そして言葉通り3時間で1台がリタイア。そしてもう1台も7時間でリタイアした。プジョーの名誉のために付け加えると、翌1992年、新レギュレーションのもとで開催されたル・マンでは、2台出場のうち1台が見事に優勝、もう1台も3位に入った。
そんなわけだから、取材対象がいなくなってからあとは自由。夜中にユノディエールのストレートで、ジャガーのV12、ザウバーメルセデスのV8、そしてマツダの4ローターのサウンドに酔いしれた。朝起きてみると何とマツダがトップじゃないか! 慌てて、ホテル代わりのオリエント急行寝台車から飛び出して、サーキットに向かい、以後マツダに張り付いていたことは言うまでもない。
17台が集結したCタイプは眼福!
ジャガー Cタイプはその前年、初めてル・マンに出場したXK120をベースに、レース専用に大幅改造を加えたモデルである。当時ル・マンでのエントリー名はXK120Cと呼ばれたものだが、ベースがXK120とはいえ、エンジン以外の共通項はほとんどない。
シャシーは、強固で重い鉄製のサイドメンバーを持ったXK120用から、チューブラーフレームに改められ、リアサスペンションも、120のリーフスプリングから、ラテラル・トーションバーにあらためられていた。一方フロントサスは、基本的にXK120のそれが踏襲され、各部が強化されたにとどまっている。また、パワーユニットは、市販XK120が、SUのツインキャブレターなのに対し、ワークスのCタイプは、ウェーバーのツインチョーク3連装に強化され、出力も220ps/6000rpm を絞り出していた。
残念ながら1951年に優勝したマシンは現存していないという。しかし、Cタイプは、1951年から1953年の間に53台が生産され、1991年当時、そのうち46台が熱心なエンスージアストのもとで、素晴らしいコンディションに保たれていたということだった。恐らくその数は今も変わっていないだろう。1991年当時ル・マンを目指したのは、このうち17台。フランス入りした翌日は雨。オープンには堪える天候だったが、そんなものは気にもせず、オートルートを130km/h程度でクルージングしてル・マン入りした。もちろん全車ノートラブルであった。




































