自身が製作したRX-7のランデブー走行を堪能
排ガス規制や第2次オイルショックという時代にマツダが世に送り出した「サバンナRX-7」。ロングノーズショットデッキというスポーツカーの代名詞なスタイリングにロータリーエンジンを載せ、注目を浴びました。さらには、アメリカのモータースポーツ用のベース車として人気を博し、1979年にはデイトナ24時間レースにも参戦しました。今回は箱車の祭典2024に参加したマツダ「サバンナRX-7 デイトナ24時間レース仕様車」を紹介します。
GTUクラス2位を飾った77号車を再現
マツダ「サバンナRX-3」と同じように、「サバンナRX-7」も「箱車の祭典」に欠かすことができない存在だ。今回は3台のマツダ サバンナRX-7が参加した。
そのうちの1台が1983年式の「サバンナRX-7 デイトナ24時間レース仕様車」で、1979年のデイトナ24時間レースにて総合6位、GTUクラス2位を飾ったW.ボーレン/J.ダウニング/R.マンデビル組の77号車仕様を再現した個体である。
1978年にデビューしたサバンナRX-7は、RX-3の戦績や名声を受け継ぐピュアスポーツカーとして登場。ヨーロッパ生まれのスポーツカーと比較しても遜色ないスポーティなシルエットを有していた。
軽量かつハイパワーな12Aロータリーエンジンをフロントミッドに搭載していたこと、卓越した操縦安定性が備わっていたことなどがアドバンテージポイントとなり、瞬く間にあらゆるモータースポーツシーンにおいて主役の座に就いたが、その先駆けとなったのが1979年のデイトナ24時間レースだ。
社外パーツを加工して取り付けた
そのようなサバンナRX-7の輝かしいヒストリーを語る際に忘れることができない77号車仕様を製作したのは成田秀喜さん。成田さんは、運転免許を取得した後に何台かのクルマを乗り継ぎ、サバンナに辿り着いた。そのときの楽しさが鮮烈で忘れることができず、いまから16年ほど前に若い頃の想いをトレースするためにサバンナRX-3を集めはじめた。手元に集まったサバンナRX-3をベースに、片山仕様/寺田仕様を製作。その勢いは止まらず、今回紹介するRX-7のデイトナ24時間仕様も仕立てている。
当初、サバンナRX-7は自身でステアリングホイールを握ってサーキット走行を楽しんでいたが、所有台数が増えたことにより友人の渡辺靖彦さんに譲渡。渡辺さんは以前ハコスカで走っていたが、他ならぬ成田さんからのオファーだったので快く引き受けた。
ホワイトのボディに赤いストライプが入っている車体には、大型のエアダムスカートと一体になったフロントオーバーフェンダーおよびリアオーバーフェンダー、そして、スポイラーが装着されている。
ワークスカーはすでに解体されており、もちろん、ワークス用のパーツは流通していないので、成田さんは社外品の中から形状が似たものをチョイス。加工して取り付けることで、当時のスタイルを再現した。
成田さんはチャージカラーにしていたサバンナRX-7をベースとして10年ぐらい前に77号車仕様を製作。1981年のデイトナ24時間レースを走った7号車仕様(ホワイトとグリーンが基調)も後期ターボモデルをベースとして再現し、こちらも友人に譲渡した。
成田さんひとりでは1度に複数の愛車を走らせることができないが、譲渡によってオーナーが増えたことでサーキットイベントなど、自身が製作したRX-3とRX-7のランデブー走行を堪能できるようになって楽しいそうだ。






























































