泣く泣く手放す日がやってきた…
そんな、北米仕様の280ZX風にかなりの金額を投じてドレスアップした我が青春のフェアレディ280Z Tバールーフとお別れしたのは、1984年のこと。泣く泣く手放した理由は、カミサンが妊娠したからである。そこで我がクルマ人生初の外車、4ドアのVWゴルフIIに乗り換えることになったのだが、ちょっとしたドラマが、フェアレディ280Z Tバールーフの最後のドライブで起こったのだった。
ここからはもう40年以上も前の時効の話として聞いてほしいのだが、愛車の最後の撮影のため、箱根に向かう途中でのこと。なんとスピード違反で、フェアレディZのパトカーに東名高速で捕まってしまったのである。
そして、パトカーのフェアレディZに乗り込んだボク(2by2の後席)。交通機動隊員の方から次のことを聞かれた。
「どこへ、なにをしに行くところだったのですか」
ボクは次のように答えた。
「フェアレディZとの最後のドライブ、写真撮影のために箱根に向かっていた。カミサンが妊娠して、大好きなフェアレディZを泣く泣く手放すことになった……」
すると、交通機動隊員の方が、お腹の大きい、助手席に座って不安そうにしていたカミサンのところに近づき、話がおおむねウソではないことを確認したあと、驚くべき言葉を発したのである。
「今回は、スピード違反ではなく、左側追い越し(もしていたかも)ということで処理します」
「そのぶん、奥さんに美味しいものを食べさせてあげて下さい。これからスピードは控え目に。大切な命を3人分、乗せているんですからね」
なんと、温情ある対応だったのだろうか。相手のパトカーがフェアレディZという共通点があったにしろ(当時の高速機動隊隊員の方でフェアレディZファンの人もいると聞いたことがある)、今なら絶対にそんなことにはならないだろうけれど、1980年代はそんな人情味ある時代!? だったのかもしれない……。
フェアレディ280Z Tバールーフを手放したのをきっかけに、いよいよ1980年代中半からバブル期に向けて、Z沼から外車沼にどっぷりはまっていくボクなのであった。なにしろ、次の愛車は“六本木のカローラ”だったんですからね。それにまつわる話は、次回ということで……。つづく。











































