ファンジオをリスペクトし続けるパガーニ
1991年、彼はモデナ・デザインを創設。これは表向きには複合素材開発の会社だが、実質的には「自分のクルマ」を作るための資金稼ぎだったという。そして1992年、ついにパガーニ・アウトモビリを創業。だが最初の市販モデル「ゾンダ C12」が1999年に登場するまで7年を要した。
搭載エンジンはメルセデス製のV12ユニット。当初このモデルは「Fangio F1」と名づけられる予定だった。これはファンジオへのオマージュだったが、彼が1995年に逝去したため、改名されたそうだ。なお、「ゾンダ」とはアンデス山脈からアルゼンチンに吹き下ろすフェーン風を意味する。
以来、パガーニの車両は一貫してメルセデス製エンジンを搭載している。その理由は、かつてパガーニが「ファンジオの名を冠したクルマを作りたい」とファンジオに相談した際、「私はメルセデスマンだから、メルセデスのエンジンを使うべきだ」と助言したからである。ここでもファンジオの影響が色濃く現れている。
冒頭に述べた東京の発表会で紹介されたのは「ウアイラ」。日本向けには年間40台ほどの生産を予定しており、たとえ需要があってもそれ以上は作らない。いわゆるビスポーク(一品生産)スタイルである。価格は当時で約1億3000万円。それでも売れる。量産せず、品質と個性にこだわる姿勢こそが、彼らの成功の源である。
素材と人脈が築いた小さな巨人
パガーニはランボルギーニ時代、素材開発を任されるようになってから人脈を広げ、そこからブランドを立ち上げた。彼らが使用するのは、航空機でも使われるような高性能素材であり、F1ですら使わないようなマテリアルもあるという。そしてそれらを使いこなす技術がある。
小規模ながら強い哲学と人脈、そして確かな技術を持つメーカー。それがパガーニ・アウトモビリであり、オラチオ・パガーニという人物の器量そのものを表していた。
最後に。気軽に2ショット写真に応じてくれたその姿は、じつに気さくで誠実。オラチオ・パガーニは本当に凄い男であった。
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