独自性を出すためにぶっ飛んだイメージの雑誌広告を制作
そんなこんなで、陸送も展示場と工場の往復から、保税倉庫に輸入されたクルマを引き上げる作業、さらには顧客の試乗のお付き合いなどなど、仕事は多岐にわたった。そんななかで任されたのが、カーグラフィックに出稿していた広告のページ作りである。
初めのうちはそれまでのものを真似て作っていたが、当時の広告はどのお店も押しなべて、在庫車両をずらりと並べる方式が主流で、面白みは皆無であった。筆者がそれを任されたのは1975年からで、当時としては相当にぶっ飛んだページ作りをした。果たしてセンスがあったかどうかは不明だが、今見直してみると、会社がよくこれを許したな……と思う。
一番最初のぶっ飛び広告は、1975年6月号に掲載したマセラティ「ボーラ」だけをフューチャーしたものだ。「BORA」の文字だけを縦に配置した大胆なもので、解説的な文字は一切無かった。ここから完全にイメージ広告の世界に没入した。
1975年7月号では、文字と写真がハチャメチャな構成で、当時会社が所有していたパワーボートの横に、ディーノ、ギブリ、ボーラを並べ、それを展示場の2階から撮影するという大胆な構図である。このときもRoad&Sea Cruiserというタイトルだけで、説明は一切無しだった。
その翌月、1975年8月号では再びパワーボートとボーラ、ほんの少しディーノが写る写真にFantastic Rodemというタイトルだけの広告を作った。とりわけこの時は在庫車両のリストすらなくした大胆さで、大丈夫か? という思いが今もある。
流石にやり過ぎたか、次の1975年9月号はしっかりとBMWをフューチャーして、クルマを紹介した。そして1975年10月は日本初上陸を果たしたハフリンガーの広告を作った。
調べてみると生産は1974年で終わっていたようだが、ローデムに輸入されたのは新車である。空冷フラットツインエンジンを搭載した4WDモデルで、当時カーグラフィックが、1976年1月号で大々的に取り上げている。
もちろん筆者はそれ以前に多摩川の川原に持ち出してドライブを楽しんだが、土手で車両を傾けたときに、あまりの角度で転倒するかと思い、クルマを飛び降りたことを覚えている。2台輸入したはずだが、はたしてどこへ行ったのやら。
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