故障でエンジンを下ろした状態のまま約30年間保管されていた
RMサザビーズ「Monterey 2025」オークションに出品されたこのフェラーリ275GTB/4は、驚くべきオリジナル状態を誇る。「フェラーリ・クラシケ」によるマッチングナンバー認定も受けた卓越した個体であり、同社は近年マーケットに売り出された同型車でも最高峰に属する個体と自己申告していた。
フェラーリの歴史の世界的権威、マルセル・マッシーニ氏の調査によれば、シャシーNo.09931は1967年5月に組み立てが完了。エレガントなカラーコンビである「ロッソ・ルビーノ」塗装にベージュのレザー内装を組み合わせた。シートのインサートは、きわめて希少かつ人気の高いコーデュロイ生地のコンビでオーダーされた。
イタリア・ミラノの著名にして老舗のフェラーリ正規ディーラー「M.ガストーネ・クレパルディ・アウトモービリ」社を介して販売され、1967年5月下旬に初代オーナーである地元住民ルイジ・ミスキ氏に納車された。
その後、1970年初頭までにGTB/4はアメリカへ輸出され、間もなくビバリーヒルズのディーラー「ローマ・モーターズ」によって売り出される。そしてこの年の4月、走行距離約1万1000キロの段階で、カリフォルニア州リバーサイド在住の米空軍大佐デール・ページ「DP」スミス氏が購入した。
スミス大佐はそのあと数年間は断続的にこのフェラーリを楽しみ、さらに約7000kmをオドメーターに重ねた。しかし1970年代半ばにカムシャフトの故障により走行不能となってしまう。熱心なアマチュアメカニックでもあったDPは、オーバーホール計画のもとエンジンを降ろし、部品を丁寧に袋詰めして保管することとした。英国の正規フェラーリ輸入代理店である名門「マラネッロ・コンセッショネアーズ」にもアドバイスを求めている。
大佐がプロジェクトを完遂する資金を調達できず、275GTB/4は1995年に彼が亡くなるまで保管されたままとなった。大佐にとっては残念なことだが、車両のオリジナル性を将来にわたり保存する上では結果として幸運となった。さらに、V12エンジンを車体の横に置いて保管し、サスペンションとホイールも取り外されて、30年近くにわたって負荷のかからない状態に安置され最適な保存がされたことも救いとなった。
1996年、故スミス大佐の遺産管理者はこのフェラーリをロードアイランド州のフレデリック・ペサトゥーロ氏に売却した。彼は後に、現在も車両ファイルに保管されている詳細な鑑定書を作成した。新オーナーは間もなく、著名なイタリアンスポーツカーの専門家で、かつてランボルギーニの開発ドライバーを務めていたボブ・ウォーレス氏に、機械的なオーバーホールを依頼することとした。
ウォーレスは、ディスカバリーチャンネルの人気コンテンツ「Chesing Classic Cars(日本名:クラシックカーコレクション)」でもおなじみ、ウェイン・カリーニ氏の率いるコネチカット州ポートランドの「F40モータースポーツ」社と協力し、シャシーとエンジンを丁寧に再調整した。オーナーは塗装と内装の美観を細部まで手入れしようと考えたが、この時点でもボディのペイントやインテリアの状態が良かったことから、フルレストアはせず小規模な手入れに留めることにした。
同時にレザーシートは手入れされ、コード生地のインサート部分はフェラーリ工場から入手した新品の純正部品に交換された。この交換部分を除き、内装は完全にオリジナルとされている。
一連の作業完了の後、このベルリネッタは2000年5月にボストン郊外のラーズ・アンダーソン自動車博物館で開催された「トゥット・イタリアーノ」コンクールに出品され、最高賞の「ベスト・イン・ショー」を受賞した。































































































































































