エンツォ翁のビジョンを体現した初期モデルが流札
その概要がリリースされるや否や、全世界を旋風に巻き込んだF40について、フェラーリ本社は当初400台の限定生産と発表していた。ところが、この稀代のスーパーカーへの需要は尽きることなく、1992年に生産が終了するまでに、1315台(ほかに諸説あり)がマラネッロ本社工場から送り出されたことになる。
しかし純粋主義的フェラリスタたちは、同じ量産型F40の間にも序列があるとされている。初期に生産された「ノンキャット&ノンアジャスト(Non-cat & Non-adjust)」仕様車は、触媒コンバーターと自動調整式サスペンションを未装備であった。今日ではエンツォ翁の意図した原初のビジョンにもっとも近いモデルと評されている。そして、このほどブロードアロー・オークションズ社「Zoute Concours」オークションに出品されたF40、シャシーNo.#84250は、まさに希少な「ノンキャット&ノンアジャスト」モデルだった。
オリジナルのサービスブックによれば、「フェラーリ・ドイチェラント」により輸入された。1990年4月19日、ドイツ・クラインオストハイムに拠点を置く「エクスクルーシブ・オートモービル・マイヤー」を通じて、近隣のカルベン在住クラウス・ベルク博士に初販売された。ベルク博士は当時、有名なワンオフのポルシェ「959カブリオレ」も所有していた。
サービスブックによれば、ベルク博士のF40は控えめに使用された。同年8月に初回点検、その後1994年1月に5000km点検の記録が残されている。
2011年、シャシーNo.#84250は極めて重要な「フェラーリ・クラシケ」のレッドブック認証を取得した。フェラーリは同書において、マッチングナンバーの2.9LツインターボV8エンジンを保持し、オリジナル仕様を維持していることを記録している。
このF40はベルク博士の所有後、スペイン在住のヌー・ノヴァケトという人物が入手したとみられる。ノヴァケトさんは所有期間中、車両を欧州に保管していたと推測される。2016年にはおそらく売却準備のためマラネッロに送り返され、工場で燃料タンクバッグの交換が実施された。
総額3万6314ユーロの交換費用が支払われた。同年11月、同じくスペインに在住する現オーナーが車両を手に入れた。
低走行距離ながら十分なメンテナンスとパーツ交換が施されていた
今回のオークション出品者でもある現オーナーの管理下にて、このF40はマドリードの「マラネロ・ロッソ」社にて定期的なメンテナンスを受けてきた。一連の整備には詳細な請求書が保管されており、整備作業の内容を確認可能である。
2019年、走行距離9191km時点で実施された1万km点検では、フルード類の交換、クランクシャフトシール交換、フライホイール&クラッチアッセンブリー交換、エンジンマウント交換などが実施され、総額1万3531ユーロを要した。
2023年2月には年次点検を実施した。各部診断とフルード類を再び交換した。スパークプラグや燃料フィルターも新品に交換したほか、エンジンの圧縮検査やタイミングベルト&テンショナー交換、エアコン用ガスの充填も実施した。
同年6月にはピレリ製タイヤを新品交換した。走行距離9776km時点でシステムチェックを実施し、2023年開催の「F40 35周年記念ツアー」に備えた。このツアーは南仏プロヴァンスの最も美しい道路で開催されたエクスクルーシブイベントであり、車両はこのイベントにおいて完璧な性能を発揮したと記録されている。
そして2023年には新しいクラッチ、新品ベルト、新タイヤを含む一連の整備が完了し、現在に至っていると、公式オークションカタログ内で申告されていた。
今回出品されたフェラーリF40について、ブロードアロー・オークション社はその歴史的価値を高く評価した。
「オリジナル塗装を保持し、新車時から1万400km未満の走行距離を示すこの個体は、フェラーリの40周年記念車を代表するモデルである」
と高らかに謳う傍ら、その自信を物語るかのように300万ユーロ~320万ユーロ(邦貨換算約5億3000万円〜約5億6500万円)というエスティメートを設定していた。
ところが10月10日、ノッケ・ハイストのビーチからほど近いゴルフ場「アプローチ・ゴルフ」敷地内の特設会場で行われた競売では、残念ながら「Not Sold」となり、流札に終わってしまった。
















































