高騰続く「グループA」時代の「元ワークスカー」は格別の評価のはずだったが
1980〜1990年代のラリーシーンで名を残したグループAマシンのベースモデルは、いまも世界中のファンを魅了し続けています。なかでも特別な存在とされるのが、当時のワークスが実戦で走らせたマシンです。今回紹介するのは、その参戦マシン中でも珍しいサファリ仕様のランチア「デルタHFインテグラーレ」。どのような背景を持つのか、オークションの結果とともに見ていきます。
自身がグループB終焉の原因を作りグループA初年度で最強となったランチア
ランチアは後輪駆動車による最後のWRCワールドタイトルとなった1983年のコンストラクターズ部門選手権を「037ラリー」で制覇したあと、ラリー競技の未来が4輪駆動にあることをたしかに認識していた。その答えが、恐るべき伝説マシンの「デルタS4」だった。
グループB時代最強のモンスターともいうべきこのクルマは、1985年から1986年にかけて驚異的な速さと数々の勝利をもたらしたが、当事者となった悲惨なアクシデントが続出したことにより、グループBラリー時代は突然の終焉を迎えてしまう。
グループB廃止ののち、ランチアとそのワークスチーム「ランチア・スクアドラ・コルセ」は代替えの最上級カテゴリーとなった「グループA」へといち早く軸足を移し、初年度の1987年シーズンに向けて「デルタHF4WD」をFIAホモロゲート公認車として投入する。
この時代、フィアット・グループ傘下各ブランドのモータースポーツ活動を支えていた、旧アバルト技術陣の主導でデルタHF4WDは開発された。コンパクトながらラグジュアリーな小型ハッチバックとして1979年に誕生した「デルタ」の車体に、上級車「テーマ ターボie」用の直列4気筒DOHCターボエンジンと、新設計のフルタイム4WDシステムを組み合わせ、急ごしらえながら戦闘力の高いモデルだった。
このニューモデルは、デビューイヤーから直ぐにその価値を証明し、ランチアがラリー界に新たな王朝を築く、偉大な礎となった。そして、1988年シーズンに登場した「HFインテグラーレ」はその支配力をさらに高め、世界ラリー選手権11戦中10戦で勝利を獲得。ライバルたちにとって、もっとも倒すべきチームとしての評価を確固たるものにした。
翌1989年シーズンは、トヨタや三菱といった日本のライバルとの競争が激化し、ランチアにとって厳しい年となりながらも、それでも7勝を確保。ランチア デルタHFにとっては3度目となるコンストラクターズタイトルに輝いた。


















































































































































































































