ミニ・ファミリーきっての個性的な乗り物
2025年11月1日、RMサザビーズ欧州本社は「ペニンシュラホテル・ロンドン」を会場として、同社にとってのフラッグシップオークションとなる「LONDON 2025」を開催しました。今回はその出品ロットのなかでも、ちょっと変わり種。クラシック・ミニのファミリーのなかでは異色の個性を誇る「ミニ モーク」を紹介します。
軽軍用車として試作されたが転じてビーチカーに
1959年のミニ発売後、その生みの親であるアレック・イシゴニスはコンパクトカーのプラットフォームを複数モデルで共有し、大量生産に適応させる構想を描いた。その一環として、当時ランドローバーが支配していた軽軍用車市場に食い込むべく、イシゴニスとその長年の部下ジョン・シェパードは、のちに「モーク」と呼ばれる車両を設計した。
しかし、タイヤサイズは通常のBMCミニと同じ10インチという小さなもので、必然的に最低地上高も低かったモークはオフロード走行には適さず、試作車両を見せた軍幹部の反応もいまいち。イシゴニスたちは、この車両への軍用需要が乏しいと判明したため、BMCは農家向けおよび軽商用用途への販売方針を転換することとした。
1964年、BMC「オースティン」ブランドから発表されたモークは、軍需をターゲットとしていた出自を物語る「スプルースグリーン(緑)」のみをボディ色の選択肢として受注生産され、BMC「Aタイプ」848ccの直列4気筒OHVエンジンを搭載していた。
1967年には第2世代を発売。カラーバリエーションに「スノーベリーホワイト」が追加され、ウインドウスクリーン助手席側にもワイパーが装備されたほか、ホーンとヘッドライトの操作がウインカーレバーに移行した。
そんなモークは1960年代半ば、ポップカルチャーの世界に躍り出る。4本の映画「007シリーズ」や人気TVドラマ「ザ・プリズナー」などを含む数々の作品に登場。そのかたわら、ブリジット・バルドーが南仏サントロペで使用したことをきっかけに当時のタブロイド紙などにも登場し、それまでビーチカー需要を賄ってきたフィアット「500/600ジョリー」の代替として、ビーチを訪れるセレブリティや富裕層にも愛されることになる。
1964年から1968年までの生産期間のなかで、イギリス国内では1万4518台のモークが製造された。ただし、英国で生産されたモークのうち英国諸島に残ったのはわずか10%ほどで、残りは海外に輸出されていった。
なお、1966年から1981年にかけてオーストラリアでもモークが生産。後期のモデルはレジャーカー風に仕立てられ「モーク・カリフォルニアン」を標榜した。くわえて、イタリアの二輪車メーカー「カジバ」もポルトガルで生産。「カリフォルニアン」と「カジバ・モーク」の双方とも日本にも輸入され、一定の成功を収めたことをご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。












































































































