熱狂の1970年代レースシーンを牽引! 名門の魂が宿る究極のクローンモデル
アメリカのレースシーンにおいて、1970年代からポルシェの代名詞として君臨したのは「ブルモス ポルシェ」。白地に赤と青のストライプが入ったその美しいカラーリングは、今も多くのモータースポーツファンを魅了してやみません。今回は、当時のレジェンドドライバーの手によってワークスパーツから生み出され、名門ファクトリーで究極のレストアを受けたポルシェ「911カレラRSR」のトリビュートモデルを紹介します。
40年来の情熱が再燃! 1975年式カレラRSRの執筆中に再会した、伝説を纏う「ブルモス・ポルシェ」の魅力
趣味でスロットカー(Slot Car:レースコースの路面に細い溝(スロット)が彫られ、クルマ底面にある「ガイド」という突起をその溝に差し込み、操縦者が手にするコントローラーがスピードを自在に操るモーター付きのスケールモデルが走る)という、1960年代に大流行した電気で動く自動車の模型を走らせて、レースをする遊びにはまっている。途中空白はあるものの、この趣味はもう40年近くやっているから、相当に気合が入っている。
1975年式「ポルシェ カレラRSR」の原稿を頼まれてその写真を見た瞬間に、「ブルモスだ!」と心の中で叫んでしまった。ブルモス ポルシェといえば、1970年代のカレラRSの時代から、レースシーンには欠かせない存在だ。そのスロットカーがどこかにあったはずと、原稿を書くのもそっちのけで探してみた。しかし、出てきたのは同じブルモス ポルシェでも、911ではなく917/10Kの方であった。でも、やはりマニアとしてはブルモスカラーは欠かせない存在なのである。
とまあ、勝手な趣味の話はここまでとして、ブルモス ポルシェの歴史について少しお話をしよう。そもそもブルモスとは「ブランデージ モータース(Brundage Motors)」を縮めてBRUMOSとしたものだ。ブランデージ モータースは、1953年にフーバート ブランデージによって、VWのインポーターとして活動を始めたものだった。ブルモスの名は、当時の通信設備だったテレックスを使用するときに、ブランデージ モータースの短縮系として使われ、それが定着したものである。
じつは、名門ディーラーとしてのブルモス ポルシェは2015年に買収され、その輝かしい名前は惜しまれつつも消滅してしまった。しかし、そのレーシングスピリットは現在でもポルシェの限定モデルに「ブルモス エディション」などの名を冠されるなど、エンスージアストの心のなかで消えることなく生き続けているのだ。
伝説の「ピーター・パーフェクト」と栄光のゼッケン59。デイトナを制し、北米を席巻したブルモス・ポルシェの軌跡
1959年にブルモスは北米南東部のポルシェインポーターの権利を取得し、ポルシェのディーラーシップを獲得した。ところが、フーバート ブランデージは1964年にバイク事故で他界してしまう。そして彼の遺志を継いでブランデージ家からブルモスを買い取ったのは、当時からポルシェのレーシングドライバーとして頭角を現していたピーター グレッグである。
ピーター グレッグは1970年代に入って、ポルシェのみならずバド ムーアの「フォード マスタング BOSS302」をドライブしてトランザムシリーズに参戦した。そして1973年と1974年にはブルモス ポルシェで、トランザムチャンピオンに輝いている。その華々しい活躍と完璧主義から「ピーター パーフェクト」なるニックネームを授かった。
白地に赤と青のブルモスカラーは、このころから有名になり、同時にブルモスといえばそのゼッケンは59番であった。これはピーター グレッグが海軍時代に乗船していた空母フォレスタルの船体番号に由来する(オークションの車両は58番だが)。
1973年にはハーレー ヘイウッドをコ・ドライバーとして、デイトナ24時間レースに出場し見事に優勝を果たす。この優勝を含め、グレッグはデイトナ24時間を4回も制している。











































































































































