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亡き英雄・篠塚建次郎への想いを乗せて! 三菱ランサー1600GSRが挑む関東デイラリーの熱き戦い

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TEXT: 齋藤 優(SAITO Yu)  PHOTO: 齋藤 優(SAITO Yu)  FACT CHECK: 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)

名車ランサー1600GSRが激走! 篠塚建次郎氏へ捧ぐ筑波路のラリー

JAF公認の関東デイラリー・シリーズ第2戦「パープルラリーがまツアー2026」が、新緑に映える茨城県の筑波路を舞台に行われた。日本のモータースポーツを根底から支える草の根的ラリーに、伝説に彩られた1台の名車がエントリーし、熱心なファンたちの視線を集めた。亡き英雄へのリスペクトと、ラリーを愛するベテランクルーたちの熱き1日をレポートする。

草の根ラリーを支える老舗醤油メーカー! 筑波路を駆けるデイラリーの魅力

競技区間のアベレージ走行における楽しいタイム争い競技のデイラリーは、日本のモータースポーツを根底から支える草の根的ラリーである。ラリー競技は昭和の時代より日本各地方でのモータースポーツ文化を支えてきたものだけに、地場産業のクライアントがサポートしてくれることもよくある。

今大会の「がまツアー」には、老舗も老舗、なんと1688年(元禄元年)創業の醤油メーカーであり、茨城県土浦市に拠点を構える「柴沼醤油醸造」が大会スポンサーについていた。醤油といえば千葉県の野田、銚子、そして茨城県の土浦が歴史ある三大生産地だが、世界に誇る日本の食文化の基盤を創っている醤油メーカーの大御所のひとつである柴沼醤油が、デイラリーを支援していたのである。

ラリーのスタート・ゴール拠点がおかれた筑波山は、古くから「紫峰」とよばれる名山だ。大会名にあるパープルラリーの「パープル」は紫色のことであり、大会主催クラブのチーム名にも含まれている。そして柴沼醤油の商品にも「紫峰」という名があり、両者のゆかりの深さが感じられる。

さてそんな今回、伝説に彩られた名車でエントリーしてきたクルーがいた。三菱「ランサー1600GSR」を駆る、菊地勉/久保宏組である。

「最近、友達からこのランサーを譲り受け、購入したばかりなんです。デイラリーは5、6回出たことはあるんですが、このランサーでは初。これまで三菱『ギャランクーペFTO』でサーキット走行などはしていました」(菊地さん)

彼の三菱車所有熱は、さらなるルーツ車にも及んだというわけだ。

伝説の「ラリーの三菱」を象徴する名車! A73型「ランサー1600GSR」の栄光

ランサー1600GSRと言えば、まさに「ラリーの三菱」の印象を固めたレジェンド車である。

性能・信頼度の高いクルマであることを証明し知らしめるべく世界のラリー競技に参戦を始めた三菱は、オーストラリアのサザンクロスラリーで1967年から「コルト1000F」での研鑽を重ね始め、1972年に「コルトギャラン16L GS」でアンドリュー・コーワンが初優勝。さらに翌1973年から投入されたA73型のランサー1600GSRで4連覇を成し遂げた。トータルでサザンクロス5連覇を果たした三菱の車名にあった「コルト・ギャラン・ランサー」が、世界市場で輝き始めたのである。

三菱は世界ラリー選手権(WRC)が制定され始まった1973年から、シリーズの1戦であるサファリ・ラリーの舞台にも乗り出していく。そして三菱にとっての魁ドライバーでもあるケニアのジョギンダ・シンが1974年に初投入のランサー1600GSRで見事優勝し、記念すべき三菱WRC初勝利を飾った。

さらに日本のラリー界における英雄であり、のちに初の日本人WRCウイナーとなる篠塚建次郎氏が1974年のサザンクロスに参戦した車種もランサー1600GSRであり、1976年のサファリでは同車で6位を遂げている。当時のサファリは、例年総行程距離が5000kmほどもある恐るべき過酷なダート路での戦いであった。

亡き英雄・篠塚建次郎氏へのリスペクト! 愛着と想いが詰まったこだわりの仕様

「建次郎さんが乗っていたクルマのカラーリングは、サザンクロスに出ていた時に緑と黄だったり、サファリの白に紺色だったりと、出場年によっても変わっていました。これは色は異なりますが、同じデザインがアレンジされています」(菊地さん)

フロントマスクのシビエ製フォグランプの取り付けなど、細部にわたって篠塚建次郎バージョンが追求されている。

菊地さんは以前、東京大学やホンダテクニカルカレッジ関東の学生たちが例年チャレンジしているプロジェクトの「ラリーモンテカルロヒストリック」参戦に、篠塚氏がドライバーとして関わっていた時、出場準備中のランサーGSRのエンジン載せ替えや試運転などに裏方として手伝いをしたことがあるという。

「そんなこともあって、手放すという友達から買ってしまったんです。このランサーでなければ買わなかったでしょうね」

ランプ近くに飾られているエンブレムの「ラリー・クリサンテーモ」は、菊地さんの所属しているJAF公認クラブ「プリンスモーターリストクラブスポーツ(PMC・S)」が、なんと彼の誕生日と同じ日に開催していたラリーとのことで、愛車へのひとかたならぬ想いが込められている。

まだ全日本選手権がなかった1970年代初期のラリー・クリサンテーモのイベント評価は高く、篠塚氏も生前、筆者に「走りがいのある好きなラリーだった」と語ってくれていた。人生における菊地さんの大切なリンクが象徴されているエンブレムなのだ。

トラブルもまた一興! ベテランコドライバーと挑む「円盤」時代からのラリー愛

コドライバーの久保さんは、ラリーコンピューターもない時代からナビゲーターを務め、バリバリに実戦をこなしていたベテランだ。まだJAFが発足していない頃、日本モータリストクラブ(JMC)が全国各地で主催していたラリーが軒並み増えていった、日本における第一次ラリーブームと言える1970年代前半あたりの参戦歴も豊富である。

「JMCの東京ラリーとか出てましたよ。円盤を使ってやりたいね。最近はスマホを使ってナビできるし、そろそろ考えたりしなくてAIに聞くだけでナビできちゃうかも……。でも、デイラリーをするのってボケ進行の抑止にいいんですよ、頭を使うからねえ」(久保さん)

「円盤」とは、昔ナビゲーターが距離と時間の計測に使っていた計算板のこと。目盛のついた円形のプレートに時計でいうところの針があり、指示速度変更や補正に応じて手で針を動かして合わせ、正確なタイムを探り当て導き出した走行ペースをドライバーに伝達していたアナログの道具だ。テクノロジー依存でややもすれば何かが衰えてしまう現代において、デイラリーというスポーツへの参戦は、久保さんの職人ナビ力を保つ秘訣のように感じられる。

「のんびり乗ろうかなあと思ってます」

スタートしていった菊地/久保クルーだったが、旧車であるランサーに、ラリー車両としてナビ機能をフォローアップするために取り付けていた車速センサーが、エンジン温度変化の影響を受ける不調に見舞われてしまい、トリップメーターとの走行距離のズレが甚だしい事態に。コマ図を読むことにも難儀するなか、「迷子にならずに戻って来られてよかったです」と、見事にクラス5位で完走を遂げた。

何が起こるかわからないのがラリーの醍醐味である。ベテランコンビは臨機応変の対応力を発揮し、新緑の筑波路を大いに楽しんでおられた。

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  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 山本 亨(YAMAMOTO Tohru)
  • 1960 年生まれ 大学卒業後ベストカーガイド編集部勤務。1990年オートスポーツ誌に転職、1992年F1速報誌(アズエフ)編集長。1995年月刊ビデオマガジン編集部に転職、1996年ベストモータリング編集長(のち局長兼務)。2005年ネコパブリッシング・イベント本部長/4輪編集局長兼務。2015年交通タイムス社に転籍、2020年より現職(総編集局長)自動車の分野に問わずオールマイティだが、特に旧いモータースポーツとクラシックカーに造詣が深い。愛車は1969年DATSUN Fairlady SRL311/YAMAHA RD250ほか

 

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