バンパー等はあえて「艶で選ぶ」という決断
一般的に自動車ジャーナリストは、どちらかというと走り(走行性能)の世界に生きる人種。スペックを読み、性能を語り、次の一台を探す。そんな男がジムニーシエラのカスタムの世界にのめり込んだという。そのコンセプトは「光り物で街を流す」。それだけのことが、なぜこれほど楽しいのか。その想いを率直に語ってもらった。
朝霧高原で思い込みはあっけなく崩れた
ジムニーシエラという存在が、ある日突然、僕の気持ちの中に滑り込んできたのは、富士山の麓、朝霧高原でのとある日のことだった。草原を渡る風はまだ朝露の匂いを残していて、遠くに見える富士は、いかにも「日本の風景」を気取っていた。そんな場所で行われた新型シエラの試乗会で触れたジムニーシエラが、明らかに僕に手招きをしたのである。
正直に言えば、それまで僕はジムニーに対して距離を置いていた。悪路を這い回るための、本格クロスカントリー四輪駆動車。岩場を越え、泥をかき分け、川を渡る。そんな冒険譚に憧れがなかったわけじゃない。けれど、僕の日常に必要なのは、湘南の潮風に似合うクルマであって、アフリカ探検隊の装備ではなかった。
だから、「自分には関係のないクルマだ」と勝手に線を引いていたのである。
ところが、その思い込みは、朝霧高原の未舗装路を数百メートル走っただけで、あっけなく崩れた。
驚いたのは、その走りの穏やかさだった。もちろんクロカン四駆特有の硬派な骨格は感じる。だが、ハンドルを握った瞬間に伝わってきたのは、武骨さよりも優しさだった。サスペンションは思いのほかしなやかで、路面の凹凸を「ガツン」ではなく、「トン」と受け流す。まるで、昔気質の職人が見せる、不器用なくせに妙に気遣いのある所作みたいだった。
その瞬間だった。
頭の中で、もう別のジムニーシエラが走り始めていた。
カスタムである。
「だったらメッキでいきましょう」の一言
もともと『ジムニースタイル(AutoMesseWebを運営する交通タイムス社が発行するMOOK)』の読者だったこともあり、シエラの世界が面白そうだという予感はあった。いや、正確には「危険な匂い」がしていた。クルマ好きにとって、その匂いは麻薬に近い。
案の定、沼は深かった。
もっとも、方向性はすぐに決まった。僕は道なき道を極めるようなハードコア志向ではない。目指したのは、湘南の海辺に似合うオンロード仕様だった。漁港の細い路地を気持ちよく流し、潮の匂いをまといながらコンビニへ向かう。そんな日常の風景に溶け込むジムニーが欲しかったのである。
ジムニーのパーツメーカーであるKLCのメッキパーツ(※編集部注:バンパー類はステンレス製の鏡面仕上げ)を選んだのには理由がある。そもそもは懇意にしているミハラ金属で、ワンオフのグリルを製作してもらったのがカスタムのきっかけだった。出来上がったそれは、まるで昭和の銀幕スターのように、妙に艶っぽかった。それを見た『ジムニースタイル』の編集長が、「だったら他のパーツもメッキでいきましょうよ」と背中を押したのである。
いやはや、これが実に良かった。
湘南の陽射しを受けたメッキは、やたらと光る。漁港に停めておけば、魚より先にシエラが水揚げされそうな勢いである。だが、その少し悪目立ちする感じが、たまらなく愛おしい。
財布を差し出しながら青春の夜を思い出す
ただ、人間の欲望とは実に際限がない。
ここまで手を入れると「次はタイヤサイズを」「いや、車高を少し」「シートも替えたい」などと、煩悩が次々に顔を出す。冷静に考えれば、完全にパーツメーカーの術中である。にもかかわらず、こちらは喜んで財布を差し出してしまう。
そして不思議なことに、そんな時間が懐かしかった。
若い頃、仲間たちと改造談義に花を咲かせた夜を思い出すのである。どのマフラーが抜けるだの、どのホイールが軽いだの。居酒屋で熱く語っているくせに、結局みんな金がなく、翌朝にはカップ麺をすすっていた、あの時代だ。
ジムニーには、そういう青春の残り火を再点火させる力がある。
これが世に言う「ジムニー沼」なのだろう。
だが、悪くない。
むしろ、こうして少しずつ自分の色に染めていく時間こそ、クルマ趣味の本質なのかもしれない。速さだけではない。便利さだけでもない。機械なのに、なぜか人生の記憶まで運んでくれる。
だから今日も、湘南の潮風の中で、僕のシエラはキラキラと光っているのである。まるで、「次はどこを弄る?」と、こちらを挑発するみたいに。
























































